第1986回 4強が決まったフランスカップ (3) マルセイユ、グランビルを下し4強へ

 5年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■初めて1部勢と対戦するグランビル

 フランスカップの準々決勝4試合は3月1日から3日にかけて行われ、これまでの本連載では2日までに行われたロリアン、ソショー、パリサンジェルマンの4強入りを紹介してきた。
 最終日の3日、最後の椅子をかけて戦うのはCFA2部のグランビルと1部のマルセイユである。5部に相当するCFA2部からは実に5年ぶりの8強入りである。グランビルは昨年中に6試合を勝ち抜き、年が明けてからはベスト32決定戦で2部のラバルに勝利、ベスト16決定戦はCFA2部のサレグミンに勝利し、CFA2部勢として2年ぶりの16強入りを果たす。そしてベスト8決定戦では2部のブール・アン・ブレスを倒して準々決勝進出を決めた。ここまで1部勢との対戦がなかったという組み合わせに恵まれたことも追い風となったが、プロである2部のチームを2回倒した実力はフロックではない。

■クビリーの一員としてマルセイユを下したことにある主将マティアス・ジュアン

 相手は人気、実力を兼ね備えたマルセイユであるが、グランビルにはこのマルセイユをフランスカップで倒した経験のある選手がいる。それが主将であるマティアス・ジュアンである。カーン出身のジュアンはカーンの育成組織で育ち、2001年にはフランスの若者にとって最高のタイトルであるガンバルデラカップで決勝に進出している。決勝ではメッスに0-2で敗れたが、スタッド・ド・フランスという大舞台での経験は大きな財産となったであろう。そして2004年にはカーンとプロ契約、1部の試合にも出場している。その後はノルマンディー地方にある下部のリーグのクラブに所属したが、ハイライトは2011-12シーズンのフランスカップであろう。ジュアンがこの時に所属していたのはクビリーである。前年にCFAで優勝し、3部に相当するナショナルリーグに復帰したクビリーはフランスカップで快進撃を見せる。決勝に進出し、リヨンに敗れたが、この時、準々決勝で対戦したのがマルセイユである。マルセイユに延長戦の末3-2で勝利したのである。
 ジュアンはこの時にもチームの中心として活躍したが、その後、ノルマンディー地方のクラブを渡り歩き、2014年からグランビルに所属し、主将としてチームの精神的支柱となっている。

■クビリーに敗れたカーンのミッシェル・ドルナオ競技場

 このグランビルがマルセイユを迎えるに当たり、通常の本拠地のルイ・ディオール競技場は収容人員がわずか3200人であり、カーンの本拠地であるミッシェル・ドルナオ競技場を借りてマルセイユを迎える。ジュアンにとっては4年前にマルセイユ、さらには続く準決勝でレンヌを下した縁起の良いスタジアムである。
 一方のマルセイユにとってこのスタジアムは4年前にクビリーに敗れたスタジアムであるが、タイトルまであと3勝である。マルセイユはフランスカップでは最多の10回の優勝を記録しているが、最後の優勝は1989年のことである。マルセイユがフランスカップの栄光と離れてから7回の優勝を果たしたのがパリサンジェルマンであり、昨年の優勝が9回目となり、今年優勝回数で並ばれるかもしれない。

■ミッチー・バシャウィ、好守のグランビルから決勝点

 そのようなマルセイユの気負いがみられるような試合展開となる。マルセイユはスティーブン・フレッチャーを先発メンバーから外したこともあるが、グランビルのGKのジェレミー・アイメのスーパーセーブの連発の前に、前半はノーゴールで終わる。
 しかし、この厳しい戦いの扉を開けたのはミッチー・バシャウィであった。50分にクロスボールをシュートし、アイメは動くことができず、この試合唯一の失点となる。その後もマルセイユは攻撃を続けるが、グランビルはよく守り、追加点を許さない。グランビルの得点機もなく、試合は1-0でマルセイユが勝利し、準決勝に進出した。
 なお、この試合は契約型TVのユーロスポーツで放映されたが、視聴者数は35万人を超え、最多視聴者数を記録したのである。(この項、終わり)

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