第2186回 100回目のフランスカップの決勝戦 (2) マルセイユのファンのエマニュエル・マクロン大統領
6年前の東日本大震災、昨年の平成28年熊本地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■イタリアでのサミットからスタッド・ド・フランスへ
今年で100回目となる記念すべきフランスカップ決勝、今季のリーグ戦、チャンピオンズリーグでは残念な結果になったが、リーグカップに次ぐタイトルを狙うカップ戦のスペシャリストのパリサンジェルマン、一方、60年ぶりの決勝進出となり勝てば初めてのタイトルとなるアンジェ、両者の顔合わせはパリサンジェルマンが優勢であるというもっぱらの見方であるが、思わぬ難敵が現れた。
それがエマニュエル・マクロン新大統領である。マクロン大統領はこの日の午前中までG7イタリアサミットでシチリア島で米国のドナルド・トランプ大統領などとの首脳会談を行ったばかりである。日本の安倍晋三首相とも仏日首脳会談を行っていることから日本の皆様もよくご存じであろう。安倍首相は丸太を経由しで帰国の途についたが、マクロン大統領はシチリア島からスタッド・ド・フランスに直行している。大統領としてサッカーのフランスカップ、ラグビーのフランス選手権決勝の臨席は重要なイベントである。日本の読者の皆様も安倍首相が後援者としばしばゴルフを行っていることからスポーツは一国の首脳には欠かせない分野であることがお分かりであろう。
■マルセイユファンの新大統領
国民戦線のマリーヌ・ルペン候補との決選投票を制したマクロン大統領はマルセイユのファンである。マクロン大統領はノルマンディーのアミアン出身である。アミアンというと1990年代のパリサンジェルマンでミッシェル・デニゾを支えたリシャール・カデュダルの出身地でもあり、なぜマルセイユのファンか、と疑問をお持ちの読者の方も少なくないであろう。
マルセイユのかつての会長はベルナール・タピである。タピはパリ20区の出身であるが、1980年代にはマルセイユの会長となるとともに、政界に進出した。この時のライバルがジャンマリ・ルペン党首率いる国民戦線であった。そのようなこともあり、国民戦線の敵が会長を務めていたマルセイユをマクロン大統領が応援すると考える読者の方もおられるであろう。
しかし、そのような複雑な政治的な理由ではなく、少年時代はマルセイユ5連覇の黄金時代、マルセイユはフランス全土にファンを持つ全国区のチームであり、エマニュエル少年もジャン・ピエール・パパンやエリック・カントナにあこがれた普通のフランスの少年であった。マクロン大統領は背番号10の入ったマルセイユのユニフォームを着用したこともあり、選挙期間中にはマルセイユのチームスローガンである「ゴールに一直線」をしばしば演説にも引用していた。
■パリサンジェルマンのファンからブーイングを浴びたマクロン大統領
スタッド・ド・フランスはフランスカップの決勝とあって8万人の観衆で満員となる。フランスカップ決勝ともなると試合前後にセレモニーが行われる。ラ・マルセイエーズの大合唱に続いてジャック・シラク大統領以来の伝統となった試合前の大統領の選手、審判団への激励が行われる。マクロン大統領が貴賓席からピッチに降りてきた際に、スタジアムの過半数を占めるパリサンジェルマンのファンからブーイングを受ける。これまでも政治家がスタジアムに姿を現した際に、その政策面に対して抗議を行うブーイングは何回かあったが、純粋にその政治家が応援しているクラブが自分たちの応援しているクラブとライバルだから、という理由でのブーイングである。
マクロン大統領は就任後、G7という国際試合で始まり、6月には日本の衆議院選挙に相当する国民議会選挙という国内試合が待ち受けているが、最初のブーイングの洗礼はこのスタッド・ド・フランスで受けたのである。
■パリサンジェルマンのファンだったジャック・シラク、ニコラ・サルコジ元大統領
歴代の大統領ではジャック・シラク(1995-2007)ニコラ・サルコジ(2007-2012)がいずれもパリサンジェルマンのファンであり、パリサンジェルマンの出場したフランスカップの決勝戦ではパリサンジェルマンのファンから拍手を集めたが、マクロン大統領はおそらく初めて贔屓チームを理由にブーイングを浴びた大統領となった。
マクロン大統領は「右でも左でもない」という位置づけで選挙戦を戦ったが、今日は「パリサンジェルマンでもアンジェでもない」と中道を装うも、内心はパリサンジェルマンの敗戦を期待しているであろう。(続く)