第2689回 パリサンジェルマン、フランスカップ制覇(1) PK戦でサンテチエンヌを下して初優勝したパリサンジェルマン

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■フランス国内で4か月ぶりに行われるサッカー

 コロナウイルスの感染拡大で3月中旬からサッカーが失われたフランスに、サッカーが戻ってきた。7月24日、スタッド・ド・フランスでフランスカップ決勝が行われた。
 これまでの本連載で紹介してきたとおり、フランスのトップレベルでサッカーが行われたのは3月11日のチャンピオンズリーグのパリサンジェルマン-ボルシア・ドルトムント(ドイツ)戦が最後であり、さらに観客を入れての最後の試合となると3月8日のリール-リヨン戦となる。

■決勝進出が6年連続のパリサンジェルマン、38年ぶりのサンテチエンヌ

 今年で103回目を迎えるフランスカップ、決勝に進出してきたのはパリサンジェルマンとサンテチエンヌである。
 パリサンジェルマンについてはこれが18回目の決勝進出、これまでに12回の優勝を果たしている。一方のサンテチエンヌは、今回が10回目の決勝進出で、過去に6回の優勝経験がある。この数字だけを見れば単なるダブルスコアと感じられるかもしれないが、これらの数字を積み上げた時代が大きく異なっている。パリサンジェルマンの決勝進出は6年連続であり、そのうち5回で優勝を果たしている。ところがサンテチエンヌは1982年以来の決勝進出であり、最後の優勝は1977年と今から40年以上前である。

■パリサンジェルマンの初優勝時の決勝の相手がサンテチエンヌ

 そして最後の決勝進出となった1982年大会の相手はパリサンジェルマンであった。パリサンジェルマンはこれが初めての決勝進出である。さらに会場のパルク・デ・プランスはパリサンジェルマンの本拠地である。5月15日に行われた試合は1-1のまま延長戦になり、延長前半の99分にミッシェル・プラティニが勝ち越し点をあげるが、パリサンジェルマンは延長終了直前の120分にドミニク・ロシュトーが同点ゴールをあげる。120分を終えたところで2-2のタイスコアとなる。
 前年までの大会規定だと再試合となるところであったが、ちょうどこの年はワールドカップを控えており、フランスカップ決勝の直後からフランス代表の合宿が始まる。ワールドカップにはパリサンジェルマンから2人、サンテチエンヌから6人が出場することになる。このため、延長で同点の場合はPK戦で優勝を決めることになった。史上初めてPK戦で雌雄を決することとなり、両チームとも5人全員が成功させ、サドンデスとなった。6人目でパリサンジェルマンのジャン・マルク・ピロルジェは成功させたが、サンテチエンヌの主将のクリスチャン・ロペスは失敗、パリサンジェルマンがクラブ創設以来初のタイトルを獲得したのである。

■フランスカップ決勝でPK戦を戦った選手のワールドカップでのその後

 1982年のワールドカップというと、準決勝でフランスが西ドイツに敗れたが、この試合もワールドカップ史上初めてのPK戦であった。2つの史上初めてのPK戦に出場したのはプラティニとドミニク・ロシュトー(パリサンジェルマン)、2人ともパルク・デ・プランスでもセビリアでもPKを成功させている。
 なお、フランスカップ決勝で両チームのゴールを守ったパリサンジェルマンのドミニク・バラテリ、サンテチエンヌのジャン・カスタネダの2人はスペインワールドカップのメンバーになっているが、西ドイツ戦のフランスのゴールを守ったのはモナコに所属していたジャン・リュック・エトリであり、カスタネダはベンチで試合を見守り、バラテリはメンバーから外れていた(当時は登録22人のメンバーのうち、各試合16人だけがベンチ入りした)。
 また、フランスカップ決勝ではパリサンジェルマンのルイ・フェルナンデス、サンテチエンヌのプラティニの双方が5人目のキッカーとしてPKを成功させている。1986年ワールドカップの準々決勝のブラジル戦、この試合もPK戦となるが、試合中にPKを決めたプラティニは4人目のキッカーで失敗、崖っぷちとなったフランスを5人目のキッカーとして成功させて、勝利に導いたのがフェルナンデスである。
 史上最初のフランスカップ決勝戦のPK戦を戦った選手はその後もワールドカップでのPK戦に様々な形で関与したのである。(続く)

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