第111回 ニースの快進撃(2) 障壁を越えて1部復帰、24年ぶりの首位に
■「星の王子様」ダニエル・ブラボー
ニースの赤黒の縦縞ユニフォームが栄光から離れて久しいが、2つのトピックを紹介しよう。
1980年、「星の王子様」と呼ばれるスターがこのチームで誕生する。その名もダニエル・ブラボー、スターとなることを宿命付けられたような苗字の持ち主である。トゥールーズ出身のブラボーはニースと契約し、1980年には17歳で早くも1部リーグの試合にデビューする。1982年2月23日にパリで行われたイタリアとの親善試合で代表にデビュー、そしてその試合でゴールを決める。66分に交代出場したブラボーがゴールネットを揺らしたのは84分、フランス代表のユニフォームを着て18分めの快挙であり、19歳でのゴールはいまだ破られることのないフランス代表最年少ゴールである。そしてこの試合フランスはイタリアになんと62年ぶりに勝つという記録尽くめの試合だった。その後、ブラボーは1984年の欧州選手権のメンバーにも選出され、欧州を制覇し、モナコ、パリサンジェルマン、パルマ、リヨン、マルセイユと言うビッグクラブで活躍する。ところがブラボーは1999年に故郷とも言えるニースに戻ってきたのである。このときニースは2部リーグ。ブラボーは19試合に出場し、1得点。チームの1部復帰はならなかったが、ニースのファンに強い印象を与え、ブラボーはこのシーズンを最後に現役から引退したのである。
■リーグ最下位ながらフランスカップを獲得
さて、もう一つのトピックは今季1部に復活したニースが前回1部に所属していた最後のシーズンである1996-97シーズンのことである。このシーズン、リーグ戦でニースは全く振るわず、監督を代えても代えても好成績は残せず、5勝8分25敗という散々な成績で最下位になる。また、この際、1部リーグのチーム数が20から18に減ることから、2部降格は4チーム(1部昇格は2チーム)ということでニースは早々に2部降格が決定してしまった。
ところが、フランスカップでは勝ち進み、パルク・デ・プランスでの決勝に進出する。翌年のスタッド・ド・フランスの完成を控え、最後のフランスカップ決勝となるパルク・デ・プランスでの決勝の相手はガンガン。双方前半に1点ずつ取った後、スコアは動かず、PK戦にもつれこみ、4-3でニースがPK戦を制し、43年ぶりのフランスカップ、38年ぶりのビッグタイトルを獲得したのである。2部に降格した翌シーズン、カップウィナーとしてニースは欧州カップウィナーズカップに参戦する。1回戦はスコットランドのキルマノックを下し、2回戦でチェコのスラビア・プラハに敗れたが、2部降格による戦力ダウンを考慮すれば、立派な成績であると評価できる。
■シーズン開幕直前に認められた1部昇格
そして、2部リーグで辛酸をなめた5シーズンめの2001-02シーズン。降格の際とは逆に1部リーグのチーム数が18から20へと増加するため、特例として2部リーグの4位までが1部昇格となる。2部で3位に入ったニースは1部昇格のチケットを得た。ところが、ニースの財政状況にチェックが入り、1部昇格に「待った」がかかった。実はニースは1990-91シーズンに苦い経験がある。マルセイユが欧州の頂点にあと一歩というこのシーズン、無理な選手補強に走ったチームが財政難に陥った。「財政問題」を理由に10位のボルドー、11位のブレストとともに14位のニースに2部降格が宣告された。11年前の悪夢が再び繰り返されるのか、とシーズン直前になってもファンを心配させたが、シーズン開幕直前にニースの1部昇格が認められたのである。
■24年ぶりの首位、ニースの語源はギリシャ語で「勝利」
これでニースが気をよくしないはずはない。ニースは開幕戦こそ同じ昇格組のルアーブルに負けたものの、3連勝して第4節にはトップに踊り出る。実に24年ぶりの快挙である。パリサンジェルマン(アウエー)、マルセイユ(ホーム)との連戦はいずれもチケットが前売りで完売。パリでは引き分け、マルセイユには2-0で勝利、第7節のアウエーでのガンガン戦もスコアレスドローに持ち込み、首位をキープしている。
かつて、ニースはシーズン後半に入ると失速するという時代が続いた。ニースといえばカーニバルでも有名である。来年のカーニバルは2月21日から始まる。カーニバル期間中にリーグは第30節を迎える。カーニバルのころまでニースは現在の勢いを保ちつづけることができるであろうか。ニースが古代ギリシャ人によって建設されたころ、ニカイアと呼ばれていた。ニカイアはギリシャ語で勝利を意味し、ニースの地名はここから生まれた。勝利を意味する語が市名のルーツであるニースで、都市とクラブのシンボルである鷲が地中海を飛び回る日を期待したいものである。(この項、終わり)