第553回 2005-06フランスリーグ・フィナーレ(1) 八百長事件のもう一方の主役バランシエンヌ
■3チームが1部昇格、3チームが2部降格
リーグカップ、フランスカップの決勝という盛り上がりはあったものの、国内リーグではリヨンの優勝、欧州カップではフランス勢の敗退がそれぞれ早々と決まり、今季のフランス・サッカーは盛り上がりに欠ける終盤となった。
しかし、リーグ戦終盤の見所は優勝争いだけではない。リーグ戦の上位チームは来期の欧州カップ(チャンピオンズリーグ、UEFAカップ)の出場権がかかり、中位よりやや上のチームにはインタートトカップ出場権が与えられ、下位のチームは2部降格の憂き目が待っている。下位3チームが2部に降格し、逆に2部の上位3チームが1部に昇格してくる。
■1位バランシエンヌと2位スダンが終盤に直接対決
今回と次回は2部リーグから一番初めに昇格を決めたバランシエンヌについて紹介しよう。2部リーグは20チームで構成されており、38節行われる。第35節を終了した段階で1位バランシエンヌ(勝ち点68、得失点差+21)、2位スダン(勝ち点65、得失点差+18)、3位ロリアン(勝ち点62、得失点差+22)、4位カーン(勝ち点60、得失点差+19)となっており、第36節でバランシエンヌが勝てば4位のカーンの結果に関係なくバランシエンヌは1部昇格を決めることができる。ところが第36節の相手はなんと2位のスダンであり、しかもアウエーゲームである。スダンが本拠地でバランシエンヌに勝てば勝ち点で並び、4位のカーンが引き分け以下ならば、バランシエンヌと並んで1部に昇格するのである。
■1993年5月20日のバランシエンヌ-マルセイユ戦
さて、バランシエンヌというクラブの名前を聞いて本連載の読者の皆さんは1993年にマルセイユがタイトルを剥奪された事件を連想されるであろう。1992-93シーズンの終盤の5月下旬、マルセイユは国内リーグでは3試合を残して首位であり5連覇を目前にし、チャンピオンズリーグでも快進撃、ミュンヘンでのACミランとの決勝戦を控える。国内外で最も権威のあるタイトル2つを目の前にしてスケジュールは次のようになっていた。1993年5月20日にはリーグ戦第36節のバランシエンヌ戦をアウエーで戦い、26日はミュンヘンでのチャンピオンズリーグの決勝のACミラン戦、そして29日の第37節はホームでのパリサンジェルマン戦、最終節の第38節は6月2日のアウエーのトゥールーズ戦となっている。リーグ戦は3試合を残して2位パリサンジェルマンとの勝ち点差は4(この当時は勝利の勝ち点は2)であり、ACミランとの決勝の直後に直接対決が控えていることを考えると決して安心できない日程である。
当時は外国人枠もあり、チャンピオンズリーグと国内リーグを別のメンバーで戦うことなど考えられない時代であった。マルセイユはバランシエンヌ戦で勝利が欲しかった。バランシエンヌは10年ぶりに1部に復帰し、下位に低迷していたチームであり、マルセイユの戦力であれば十分に勝利が計算できる相手であったが、マルセイユはバランシエンヌの選手に八百長を持ちかける。マルセイユはバランシエンヌに1-0と勝ち、リーグ優勝に王手をかけ、ミュンヘンではACミラン、ベロドロームではパリサンジェルマンと国内外最大のライバルを下し、フランスのチームとしてチャンピオンズリーグを初めて制覇し、リーグも前人未到の5連覇を達成したのである。
■八百長事件で制裁を受け、その後無冠のマルセイユ
しかしながらこの2つの偉業も八百長の発覚により剥奪され、マルセイユは没落、1994-95シーズンは2部降格と言う制裁を受けたのである。マルセイユはこの降格の際に2部で優勝しても1シーズンでは1部に復帰させないと言う厳しい条件がつき、1994-95シーズンは2部で1位になりながら昇格できず、1995-96シーズンにカーンに次ぐ2位となってようやく1996年に1部に復帰したのである。しかし1部復帰後、マルセイユは国内外のあらゆるタイトルから見放されている。1999年にはUEFAカップ決勝に進出したことがあったが、パルマに完敗している。国内では本連載の第547回から第550回にかけて紹介したように今年のフランスカップの決勝に進出したが、宿敵パリサンジェルマンに敗れており、剥奪された1993年のタイトル以来、無冠が続いている。いかに一度のつまずきが名門クラブに重くのしかかっているかがよくお分かりであろう。
そしてこの八百長事件のもう一方の主役バランシエンヌのその後の歴史はマルセイユよりも厳しいものになったのである。(続く)