第782回 マルセイユ、第一次世界大戦休戦記念日にリヨンを下す
■リーグ戦では天と地のリヨンとマルセイユ
前回と前々回の本連載はフランスからチャンピオンズリーグに参戦しているマルセイユとリヨンのグループリーグ第4節の戦いを紹介したが、欧州での激闘の直後、この両チームはリーグ戦で顔を合わせることになった。
グループAで首位だったマルセイユは11月6日の火曜日にアウエーでポルト(ポルトガル)、グループEで最下位だったリヨンはその翌日の水曜日の7日にホームでシュツットガルト(ドイツ)と対戦した。結果的にはマルセイユは負けて、首位陥落、リヨンは勝利して最下位脱出となり、両チームともグループで中位となった。
チャンピオンズリーグでは似たような順位になった両チームであるが、国内のリーグ戦では天と地ほどの差がある。11月最初の週末に行われた第13節を終了した段階で、リヨンは10勝1分2敗で首位、マルセイユは2勝5分6敗でブービーの19位に転落している。大型補強により、今季リヨンの七連覇を阻止する一番手と目された名門チームとしてはさびしい限りである。
国内リーグでの首位を奪還し、チャンピオンズリーグでも連勝して上り調子のリヨン、一方のマルセイユはリーグ戦では低迷、さらに連勝スタートのチャンピオンズリーグも中盤に入って勝ちから見放されている。第13節のホームでのロリアン戦もマルセイユが一方的にボールを支配しながらもノーゴール、結局スコアレスドローに終わっており、その翌日にランスが勝利し、勝ち点3を上積みしたためにマルセイユは19位に陥落してしまっている。国内外の戦いでは10月21日のリーグ戦第11節のランス戦で勝利したのを最後に、リーグ戦、リーグカップ、チャンピオンズリーグで5試合連続して勝ちなしという低迷状態にある。
■第一次世界大戦時のドイツ人捕虜が建設したジェルラン競技場
両チームの戦いは通常の土曜日の夜ではなく、チャンピオンズリーグでの疲労を勘案して1日遅らせ、11日の日曜しかも夜21時にキックオフとなった。11月11日というのはフランス人にとって、そして欧州人にとって特別の日である。この日は1918年に第一次世界大戦が終結した日である。第一次世界大戦は欧州では多くの犠牲者を出し、1900万人の尊い命を失っている。国別ではドイツ、ロシアに次ぐ136万人の犠牲者を出している。その戦いに終止符が打たれたのが11月11日のことであり、パリ郊外のコンピエーニュに停車中の食堂車2419Dの車内において休戦協定が締結された。
そのような日に欧州を舞台に戦いを繰り広げているフランスの両チームがリヨンのジェルラン競技場で対戦すると言うのも深い意味のあることである。リヨンのジェルラン地区は20世紀はじめに開発され、リヨン出身の建築家トニー・ガルニエによって1913年にこのジェルラン競技場の建設は始まった。ところが戦火により、工事は止まってしまう。1918年に欧州に平和が訪れても戦災復興のためにスタジアムの工事はストップしたままだった。ところがその翌年の1919年から工事は再開する。この工事再開を可能にしたのは第一次世界大戦によるドイツ人の捕虜がこの工事に参画したからである。そして、1920年、このジェルラン競技場は第一次世界大戦のドイツ人捕虜の汗によって完成したのである。
■過密日程でメンバーを落としたリヨン
マルセイユを迎え撃つリヨンにとっては国内のリーグ戦に加え、国際試合としてはチャンピオンズリーグ、さらには多数の代表選手を抱えることから、選手によっては代表選手として欧州選手権予選を戦うことになり、11月は最大で7試合を戦うことになる。チャンピオンズリーグの試合で疲労がたまり、相手は不調のどん底にいるマルセイユ、またホームゲームで地の利もあることからリヨンはメンバーを落としてマルセイユを迎えることになった。現在得点ランキング1位でフランス代表入りしているカリム・ベンゼマはベンチでキックオフを迎える。
■マルセイユ、名門の意地を見せ、逆転勝ち
リヨンは開始7分に主将のジュニーニョが無人のゴールに先制点を叩き込む。しかしその直後にリヨンのセバスチャン・スキラッチがママドゥ・ニアンにペナルティエリア内で反則、このPKをニアンが決めてマルセイユが同点に追いつく。さらに前半終了間際の42分にニアンが勝ち越しゴールを決める。後半に入ってリヨンはベンゼマを投入したが、ゴールを奪うことができず、マルセイユがリヨンを2-1で下した。両チームの戦いは今年になって3回目となったが、マルセイユは2勝1分と名門チームの意地を見せたのである。(この項、終わり)