第1445回 名門スタッド・ド・ランスの復活(3) 33年ぶりに1部リーグに復帰

 昨年3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■レアル・マドリッドに屈したニース

 1955-56シーズンに始まったチャンピオンズリーグで決勝に進出し、伝説のチーム、スペインのレアル・マドリッドと壮絶な点の奪い合いの結果、惜しくも準優勝に終わってしまったスタッド・ド・ランス、そのシーズンのリーグ戦では10位に沈んだが、1957-58シーズンのリーグ戦では早くも4回目のリーグ優勝を果たし、翌年には再びチャンピオンズカップに挑戦する。
 4回目の開催となるチャンピオンズカップであるが、第2回目となる1956-57シーズンにはフランスからはニースが出場し、1回戦は前年のスタッド・ド・ランスと同じ組み合わせになり、デンマークのオーフスを下す。2回戦はスコットランドのグラスゴー・レンジャースと戦い、第1戦は1-2で負けるが、第2戦は2-1と勝利、プレーオフをパルク・デ・プランスで行い、3-1とニースが勝利する。準々決勝でニースは前年優勝チームのレアル・マドリッドと対戦する。しかし、ニースは第1戦0-3、第2戦2-3と連敗し、フランス勢は2年連続して白い巨人の前に屈し、レアル・マドリッドは連覇を果たす。
 第3回のチャンピオンズカップはサンテチエンヌが出場するが、1回戦でグラスゴー・レンジャースに第1戦1-3、第2戦2-1、2試合合計2-3となり初戦敗退する。

■フランス勢として2回目の出場となるスタッド・ド・ランス

 そして迎えた4回目のチャンピオンズカップにスタッド・ド・ランスはフランス勢として初めて2回目の出場を果たす。1回戦は北アイルランドリーグで初優勝したアーズとの対戦。アウエーの第1戦を4-1、ホームでも6-2と大勝の連続となる。2回戦はフィンランドのHPSヘルシンキが相手、ルーアンで行われたホームゲームで4-0と勝利し、ヘルシンキでも3-0と連勝する。ここまでは対象の連続であるが準々決勝あたりから厳しい戦いとなる。準々決勝はベルギーのスタンダード・リエージュと対戦する。リエージュでの試合を0-2と落とすが、ホームで3-0と勝利、2試合合計3-2というスコアで準決勝に進む。スイスのヤングボーイズ・ベルンとの準決勝もアウエーの第1戦を0-1と落とす。しかしパリで行われたホームゲームで3-0と見事な逆転勝ち。スタッド・ド・ランスは見事に決勝に進出したのである。

■決勝でまたレアル・マドリッドに敗れ、準優勝

 西ドイツのシュツットガルトで行われた決勝の相手はレアル・マドリッド、ここまで3回の大会すべてで優勝を飾っているチームである。3年前に激戦の末敗れたアルベール・バトー監督率いるスタッド・ド・ランスは復讐に燃えたが、レアル・マドリッドに0-2と敗れ、またもや準優勝に終わったのである。

■1960年代以降は低迷したスタッド・ド・ランス、33年ぶりに1部に復帰

 スタッド・ド・ランスはその後、1959-60シーズンと1961-62シーズンの2回リーグ優勝する。しかし、1963-64シーズンはブービーとなる17位になり、2部に陥落する。1部と2部を往復し、1970-71シーズンからは1部に定着し、中位から下位に位置していたが、9シーズン目の1978-79シーズンには3勝11分24敗という成績で最下位になり、2部に降格する。
 ここから長い長いスタッド・ド・ランスの低迷時代が続く。1980年代は2部に在籍し、1度だけ1部との入れ替え戦に出場したことがあるだけだった。そして1991年には3部に陥落、1992年には財政面の破たんによりアマチュアチームとなり、地域リーグであるDHリーグで戦うことになる。おりしもRCランスが1部に昇格し、ランスといえばReimsではなくLensを指すようになった。
 スタッド・ド・ランスがプロの2部リーグに復帰したのは2002年のことであった。実に10年ぶりの2部復帰となったのである。しかし、2部復帰の初年は最下位でナショナルリーグに陥落、1年で復帰するが、2000年代は2部の下位とナショナルリーグを往復することになった。
 2009-10シーズンはナショナルリーグで2位になり、2部リーグに復帰する。2010-11シーズンは2部で10位、これは過去20年間で最高の成績である。
 ついに2011-12シーズンは2部リーグで2位、実に1979年以来33年ぶりに1部リーグに復帰してきたのである。(この項、終わり)

このページのTOPへ