第1960回 新スタジアムで後半戦を迎えたリヨン(1) 自前のスタジアムを建設したリヨン
5年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■パリサンジェルマンが独走したリーグ前半戦
前回までの本連載では1月最初の週末に行われたフランスカップのベスト32決定戦の模様を紹介した。1部勢同士の試合で敗れた2チーム以外に、下位のリーグのクラブに敗れたチームは1チームのみ、結局1部勢は20チーム中17チームがベスト16決定戦に進出するという結果になった。
そしてその翌週にはリーグ戦が再開した。本連載でも紹介してきたとおり、今季のリーグ戦はパリサンジェルマンが独走、前半戦を終えてパリサンジェルマンが16勝3分と負けなしで勝ち点51、2位の8勝8分3敗のモナコに勝ち点19もの差をつけている。パリサンジェルマンの得失点差は実に+39、それに次ぐのが+9のニースという差も際立っている。
このように優勝の行方は早くも決まってしまったようであるが、2位以下の順位争いは目を離せない。
後半戦の開幕は1月8日の金曜日のパリサンジェルマン-バスティア戦、チアゴ・モッタ、マクスウェルの得点で2-0と勝利し、2位との勝ち点の差を21に広げてしまう。
■新スタジアムのこけら落としとなるリヨン-トロワ戦
後半戦の初戦で優勝争いへのファンの関心を奪った形となったが、その翌日にフランス中が注目した試合があった。それはリヨン-トロワ戦である。リヨンの前半戦の成績は9位、片やトロワは前半戦は8分11敗と勝利がなく、最下位である。19位のトゥールーズとの勝ち点差も9、パリサンジェルマン同様、独走している。なぜこのカードが注目を集めたかというと、リヨンの新スタジアムのこけら落としとなったからである。
■数多くの試合を開催してきたジェルラン競技場
リヨンは1950年以来、市の南部にあるジェルラン競技場を使用してきた。本連載第1952回で紹介した通り、フランスの競技場の中で最も多く欧州カップ(チャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグならびにそれぞれの前身の大会)の試合を開催してきた。また1998年のワールドカップにも使用され、日本の皆様はジャマイカ戦が行われたことからよくご存じであろう。それ以外に1984年の欧州選手権、2007年のラグビーワールドカップにも使用されたが、いよいよ今年行われる欧州選手権ではスタジアムを新設することになった。ちなみにジェルラン競技場は1920年に建設され、1938年のワールドカップでオーストリア-スウェーデン戦が行われる予定であったが、ドイツの侵攻によってオーストリアが棄権し、試合が行われなかった。
■オランピック・リヨネ自身が所有する新スタジアム
スタジアム新設の理由としては、欧州選手権に向けて今回は改装ではなく、新しい競技場をつくり、UEFAの認めるカテゴリー4のスタジアムを建設したかったということであろう。カテゴリー4とは最高位であるが、フランスにはこのカテゴリー4のスタジアムはスタッド・ド・フランスしかない。カテゴリー4のスタジアムをドイツは6、スペインは5、イングランドは3、それぞれ有している。
そして、これまでのジェルラン競技場は市営であり、リヨンはリヨン市に借料を払って利用してきた。ちょうどリヨンがオランピック・リヨネグループとして上場した2007年ころから自前のスタジアムを建設しようという計画が持ち上がった。フランスにおいてクラブが自前のスタジアムを持つことは珍しいことである。フランスの場合、スポーツクラブに対する公的な助成があるため、スタジアムは市営のものが多く、行政とクラブが一体となって運営している。逆にこれがビッグクラブとして欧州のトップを争う場のレベルでは弱点となる。2007年というのはリヨンが国内リーグで7連覇中でありながら、チャンピオンズリーグではなかなか準々決勝の壁を破ることができなかった時代であるということを考えれば、リヨンの凄腕の会長であるジャン・ミッシェル・オラスが自前のスタジアムを所有しようとしたこともよくわかるであろう。その後、リーマンショックなどで計画は遅れたが、2012年に着工し、このたび完成したのである。(続く)