第2536回 バヒッド・ハリルホジッチ、シーズン開幕1週間前にナントを去る
8年前の東日本大震災、3年前の平成28年熊本地震、昨年の平成30年7月豪雨などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■「心のクラブ」を2部降格のピンチから救ったバヒッド・ハリルホジッチ
前回の本連載でリール-ナント戦について紹介したところ、日本の読者の方からバヒッド・ハリルホジッチがナントの監督を辞したことについて問い合わせがあった。今回はハリルホジッチ監督の辞任について紹介しよう。
ハリルホジッチが日本代表の座を追われたのは昨年の春のことである。そのハリルホジッチに監督のポストを提供したのはナントであった。ハリルホジッチはナントには5年間在籍し、2度リーグ得点王に輝いている。昨季のナントは序盤はなかなか勝ち点を積み上げることができず、リーグ順位は降格圏内を低迷、10月初めの時点で19位、ミゲル・カルドソ監督を更迭し、フランスに戻ってきたハリルホジッチを監督として招聘したのである。ハリルホジッチが「心のクラブ」とするナントの選手、ファンは喜び、一時は順位を10位まで上昇させ、最終的には12位となり、フランスカップでも準決勝に進出した。
■選手補強を望んだハリルホジッチ
そして2年目のシーズンを迎えるに当たり、チームは6月26日に練習を再開し、7月の初めからプレシーズンマッチに臨む。初戦の相手はスイスの3部のニヨン、この試合は1-0の辛勝に終わる。ナントが新しいシーズンに向けて6人の選手獲得に費やしたのは700万ユーロと言われているが、そのほとんどはFWのマーカス・ココ(ギャンガン)とDFのモラ・ワゲ(イタリア・ウディネーゼ)に費やされている。ハリルホジッチはレギュラークラスの選手を8人あるいは9人補強することをクラブの経営陣に申し出る。リストの中には日本の久保建英も含まれていたことから日本の皆様もこの動きはご存じであろう。
■クラブ売却を想定し、選手補強を望まない経営陣
ナントのオーナーであり会長を務めているのはバルデマール・キタ、ポーランド系フランス人の実業家である。眼鏡店で成功し、1998年にサッカービジネスに参入、スイスのローザンヌを買収し会長となる。本当はこの時期にナントを買収したかったのだが、法的な手続きに阻まれ、ローザンヌのオーナーとなった。そして2007年に当時2部のナントを1000万ユーロで買収する。息子のフランクとともにクラブの経営をしている。このたびナントを買収しようとする動きがあり、ナントの経営陣はこのオファーに応じようとしている。買収額は8000万ユーロであり、このクラブ売却にマイナスな選手獲得のためのキャッシュアウトを避けたいというのが経営陣の論理である。
そして、選手を外部のチームから獲得しているのではなく、好成績を残している下部組織から昇格させるべきというのが経営陣の意見である。
■シーズン開幕1週間前に辞任、モロッコ代表の監督となったハリルホジッチ
このように選手補強に関して経営陣との意見の食い違いにより、ハリルホジッチは覚悟を決めた。8月2日、本拠地ボージョワール競技場にイタリアのジェノバを迎える。シーズン開幕前最後の試合である。1-1と引き分けた試合を最後にハリルホジッチは辞任を申し出、集まった4800人のファンに見送られた。
シーズン開幕1週間前に監督が不在となり、この時期に監督を見つけてくることは容易ではない。現在の19歳以下のチームの監督を務めているステファン・ジアニを起用すれば、その心配もない。ジアニは現在47歳であるが、ナントが2001年にリーグ戦で最後の優勝を飾った時の主力選手である。それ以外にもルイ・フェルナンデスなども候補となったが、結局はクリスチャン・グルクフをカタールのアル・ガラファから獲得し、シーズン開幕に間に合わせた。
2007年にキタ一家がクラブの経営権を取得してから、ナントの監督は短命が続き、実に12年間でのべ14人の監督、つまり監督は平均9か月で交代している。
ハリルホジッチはモロッコ代表監督となった。モロッコは6月から7月にかけて行われたアフリカ選手権では決勝トーナメント1回戦で敗れている。ハリルホジッチも監督として最も長く務めたのがリールの4年、続いて日本代表の3年であり、短命が続く。今回はすぐに監督を代える経営陣と、すぐに代わる監督の組み合わせであったが、ハリルホジッチはモロッコではどのくらい監督の座にいることができるだろうか。(この項、終わり)