第3143回 ラファエル・バラン、フランス代表から引退

 平成23年の東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、台風15号、19号、令和2年7月豪雨などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■29歳のラファエル・バランが代表引退を表明

 前回まではハンドボールの世界選手権について紹介してきたが、ポーランドとスウェーデンでの熱い戦いのあった間に、多くのファンがカタールのワールドカップを思い出し、相次ぐ準優勝に終わった決勝戦の後には、次こそ優勝を、と願ったことであろう。
 そんなタイミングでラファエル・バランがフランス代表から引退するというニュースが飛び込んできた。今回のワールドカップにエントリーした選手ではすでにウーゴ・ロリス、スティーブ・マンダンダという2人のGKがフランス代表からの引退を発表している。さらに、メンバー入りしながら、カタールでのワールドカップに出場しなかったカリム・ベンゼマも同様である。ワールドカップ終了時点でロリスは35歳、マンダンダは37歳、ベンゼマは34歳であるのに対し、バランは29歳、早すぎる引退表明は残念である。

■最後となったワールドカップでも活躍

 今回のワールドカップにバランは負傷により合流が遅れている。グループリーグ第1戦の豪州戦は出場せず、第2戦のデンマーク戦から登場、フル出場し、グループリーグでの最大の難敵との勝利に貢献した。以後、チュニジア戦、決勝トーナメントに入ってポーランド戦、イングランド戦、モロッコ戦と先発フル出場、アルゼンチンとの決勝も先発して延長後半8分まで113分間ピッチに立ち続けた。出場時間数についてはキリアン・ムバッペ、ロリス、アントワン・グリエズマンに次いで長く、フランスの準優勝に大きく貢献している。

■レアル・マドリッド、フランス代表で残した輝かしい成績

 バランのこれまでを振り返ってみると、カリブ海のマルティニークにルーツを持つ両親のもとでリールに生まれる。少年時代はリールではなくライバルのRCランスに所属、17歳でプロとしてトップチームの試合に出場する。プロデビューした翌年の2011年夏にはスペインの名門レアル・マドリッドに移籍する。レアル・マドリッドには10シーズン在籍、国内外の様々なタイトルを獲得し、2021年にはイングランドのマンチェスター・ユナイテッドに活動の場所を移した。
 フランス代表としては2012年8月に代表に初めて招集された。ちょうど欧州選手権を終え、代表監督がローラン・ブランからディディエ・デシャンに代わった直後のことである。代表の試合にデビューするのは2013年3月のワールドカップ予選のジョージア戦まで待たなくてはならなかったが、デシャン監督の就任とともにフランス代表に加わって守備の中心としてデシャン体制を10年間を支えてきた選手であった。
 デシャン監督の下でワールドカップでは2014年ブラジル大会ではベスト8、2018年ロシア大会では優勝、2022年カタール大会では準優勝という成績を残している。また欧州選手権では2018年大会でベスト16入りした。今回のワールドカップでも負傷で合流が遅れたが、負傷の多い選手であった。2016年の自国開催の欧州選手権は負傷のため出場していない。バランが負傷をしていなければ、優勝していたのかもしれない。

■ウーゴ・ロリスの後継主将として期待されていたバラン

 そしてバランはRCランスに所属したいた際に18歳にして主将を務めたこともあり、もって生まれたリーダーシップも魅力の選手であった。これまでフランス代表の主将を務めてきたのはロリス、これまでフランス代表史上最多の145試合に出場しただけではなく、2012年2月以降主将を務め、121試合で主将として試合に出場、デシャン時代のチームの中心であった。代表チームにおけるロリスの不在時に主将を主に務めていたのがバランであり、これまでに18試合でキャプテンマークを巻いた。
 ロリスの後継の主将として最も期待されていたのがバランであり、バランの代表チームからの引退は次の主将を誰にするかという議論が早速沸き上がった。現在の代表で主将経験者はプレスネル・キンペンベ(2試合)、オリビエ・ジルー、グリエズマン(いずれも1試合)しかいない。あるいはパリサンジェルマンで主将を務めたムバッペの抜擢もあるかもしれないのである。(この項、終わり)

このページのTOPへ