第34回 マルティニック、ゴールドカップで大健闘(1) カリブ海にある海外県・マルティニック
■不気味な開催国・日本
これまでの連載でお伝えしたとおり、ワールドカップイヤーに入り、各国の代表チームはすでに始動している。アフリカ諸国のように選手権を争う国もあれば、前回お伝えしたフランスやルーマニアのように親善試合を行っている国もある。世界を見渡せば、アフリカ選手権以外に北中米諸国はゴールドカップを争い、それ以外の欧州・南米・アジアの多くの国・地域はフランス-ルーマニア戦と期を同じくして親善試合を行っている。また、アジア諸国では比較的温暖な地域でトーナメントを行っている。
ワールドカップ本大会出場国の中で唯一今年に入って試合をしていないのが開催国の日本であり、不気味な存在である。特に開催国ということもあり、各会場のリハーサルも必要であると思われるが、この時期に試合を開催しないということはチームの状況も順調であり、各開催地の準備も万端である、という自信のあらわれ以外のなにものでもないであろう。
■カリブ海に浮かぶ海外県、マルティニックとグアドループ
ワールドカップの開催国で本大会の有力国の一つである日本が試合をしない一方、ワールドカップ本大会に出場しない多くの国が前回紹介したルーマニアのようにすでに始動している。さらに、FIFAに加盟していない国・地域も試合を行っている。それが今回紹介するマルティニックである。
マルティニックはフランスの海外県、カリブ海に浮かぶ人口40万人の島である。1493年にクリストファー・コロンブスが発見し、17世紀にフランスの植民地となっている。フランス人がサトウキビ農園を経営するためにアフリカから労働力を移入し、19世紀後半になるとインド人や中国人も労働力として移入し、異文化の交差点となる。これらの文化に加え、宗主国のフランス、地理的に近いアメリカ、周辺諸国の宗主国であるスペインの文化も混合し、独特のクレオール文化が形成されてきたのである。
日本語にも翻訳されている「クレオール礼賛」(ジャン・ベルナベ、パトリック・シャモワゾー、ラファエル・コンフィアン共著)は「ヨーロッパ人でもなく、アフリカ人でもなく、アジア人でもなく、われわれはクレオール人であると宣言する。それは我々にとって一つの心的態度の問題であろう」という書き出しで始まる。マルティニックの住民は多民族から構成されており、選手の名前にも中国系の名前を見かけることがある。フランス代表も多民族から構成されているが、中国系の選手の出現にはまだ時間がかかるであろう。
そのような文化の交差点であるマルティニックは第二次世界大戦後フランスの海外県としての地位を得るが、1948年に代表チームが誕生した。同じカリブ海に浮かぶフランスの海外県であるグアドループがカリブカップを開始し、マルティニックもこれに参加する。ドミニカを5-0と倒したマルティニックは決勝を戦うためにグアドループに渡るが、そこで0-3と大敗を喫するが、これが「マルティニック代表」の誕生である。
■ゴールドカップに初挑戦した1993年
1952年にはマルティニックにリーグが発足し、カリブ海諸国の間で行われるカリブカップには常時参加してきた。FIFAが公認する大会に参加したのは1993年にダラスとメキシコシティーで開催されたゴールドカップが最初である。ゴールドカップは北中米カリブ地域の国別対抗戦であり、2000年大会の優勝チームのカナダが昨年日本と韓国で開催されたコンフェデレーションズカップに出場している。マルティニックはFIFAに加盟していないが、マルティニック協会はフランス協会の下部組織であり、上部組織であるフランス協会が参加を認めれば、FIFAはそれを支持することになる。
記念すべき最初の試合はワールドカップの常連でこの大会で優勝することとなるメキシコとメキシコシティーで戦い、0-9と大敗する。第2戦のカナダ戦は2-2の引き分けに持ち込むが、決勝トーナメント進出をかけたコスタリカ戦は1-3で敗れ、グループリーグ最下位でカリブ海を渡ることになる。
その後、マルティニックはゴールドカップから遠ざかる。そして、新世紀最初となる今回のゴールドカップに戻ってきたのである。(続く)