第229回 スイスと32回目の対戦(3) 98年にわたる両国対戦史

■ベルギー、イタリアに次いで対戦数の多いスイス

 フランスとスイスの過去の対戦は31試合。これはベルギーとの69試合、イタリアとの32試合に次ぐ数字であり、8月20日の試合で対戦数はイタリアと並ぶことになる。そして不思議なことにこれまでの31試合全てが親善試合である。スイスは決して強豪チームではないためワールドカップや欧州選手権の予選で同じグループになることも十分に考えられるのだが、今までそのようなドローがなかったことは不思議なことである。ちなみに1位のベルギーとの69試合のうち58試合が親善試合であり、フランスがフランス語を公用語としている国と多くの親善試合を行ってきたことを示している。
 フランスにとって最初の国際試合は99年前の1904年5月1日のベルギー戦であることは本連載でも何度か紹介してきたが、2番目の国際試合は1905年2月12日にパリでスイスと対戦している。赤のユニフォームに胸に白十字のスイスにとってはこれが最初の国際試合である。国際試合2試合目となるフランスはこれが最初のホームゲームである。この試合、黎明期は白いユニフォームを着ていたフランスが1-0とスイスを下し、初勝利を収めると言う記念すべき試合となった。

■対戦回数が少なくなった1960年以降

 フランスとスイスはその後も頻繁に対戦する。第二次世界大戦終結までに17試合、そして第二次世界大戦後に14試合を行っている。1960年までは長くとも2、3年のうちに1回は対戦してきた両国であるが、1960年代以降は試合の間隔が長くなり、1990年代以降はその間隔がさらに長くなる。これは欧州選手権の開始に伴い、その予選の試合を行わなくてはならず、古くからの友好国との親善試合を行う日程が確保し難くなったからである。これはフランスと最も対戦回数の多いベルギーとの関係も同様であり、1990年以降は東欧諸国の自由化に伴うUEFA加盟国の増加によってさらに拍車をかけている。フランスとスイスは1950年代には4回対戦したが、1960年代は2試合、1970年代は2試合、1980年代も2試合と言うペースに落ち、1990年代はわずか1試合、そして新千年紀を迎えてからは今回が初対戦となる。

■11年前のローザンヌでは痛恨の敗戦

 今回の対戦は1992年5月27日にローザンヌで対戦して以来11年ぶりのこととなる。両国にとって11年間も対戦がなかったことは初めてのことである。このローザンヌでの戦いはその後のフランス代表に暗い影を与える試合となった。翌月に控えたスウェーデンでの欧州選手権に向けた準備のための試合であったが、予選で8戦全勝という成績を残しながら、その後イングランドにアウエーで負け、ベルギーとホームで引き分けと失速気味の中でスイス戦を迎える。エースのジャン・ピエール・パパン、主将のマニュエル・アモロスを温存し、パパンの代役のファブリス・ディベールが先制点。しかしながら、その直後にスイスはクリストフ・ボンバンが同点ゴールを決める。勝ち越しを狙いたいフランスは後半が開始する段階で5人の選手を入れ替え、後半半ばの71分には6人目の交代としてレミー・ガルデをフランク・ソーゼーに代えて投入する。ところが、勝ち越し点を奪ったのはスイスの方であり、72分にボンバンが2点目を決めて、フランスは負けてしまう。
 この後フランスはスウェーデン入りする前にランスでオランダと戦い、1-1のドロー、結局欧州選手権に向けた4つの親善試合で1試合も勝つことなくスウェーデンの地を踏むこととなる。スウェーデンでは2分1敗と言う成績で優勝候補はグループリーグで敗退したのである。4つの親善試合のうち、当時の相手の力量が一番低いと目されていたスイスに負けてしまったことが、選手の自信に影響を与え、予期せぬグループリーグ敗退の一つの原因になってしまったのではないだろうか。

■アウエーの中では相性のいいジュネーブでの試合に期待

 過去の両国の対戦成績はフランスの13勝6分12敗であるが、フランス国内では6勝5分3敗、アウエーでは7勝1分9敗と負け越している。また、フランスがスイス国内で勝った試合のほとんどは1950年代以前のものであり、フランスがスイス国内で最後に勝利をおさめたのは1977年のことであり、26年間スイス国内での勝利がない。アウエーで負け越しているフランスであるが、フランス語圏の都ジュネーブでは5勝3敗と相性のいい町である。26年ぶりのアウエー勝利に期待したい。(続く)

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