第311回 オランダと対戦(2) 忘れられないリバプールとパリでの戦い
■4年前の欧州選手権グループリーグでの対戦
フランスはオランダとの過去の対戦成績は8勝3分9敗と負け越している。フランスは欧州各国との過去の対戦成績では負け越しているのが通常であるが、1990年代以降は優勢というのが通常のパターンである。オランダとの過去の対戦においても1990年代以降はフランスが2勝2分1敗と勝ち越している。最後の対戦は4年前の欧州選手権である。グループリーグで両チームが対戦し、オランダが3-2と勝っているが、これをそのまま評価することはできないであろう。というのもこの試合はグループリーグの最終戦であり、フランスはすでにグループリーグ突破を決めていた。勝てばグループリーグで首位となるが、そうなると決勝までオランダ国内で試合をしなくてはならない。負けて2位ならば決勝トーナメントの1回戦と準決勝をフランスに近いフランス語圏のベルギーで対戦することができる。そして決勝トーナメントに向けて選手には休養が必要である。そのような思惑が重なり、フランスは第1戦、第2戦に先発出場した選手は1人だけで、控え選手中心のメンバーでアムステルダムでの試合に臨む。その結果、前半こそ、クリストフ・デュガリー、ダビッド・トレゼゲのゴールでリードしたものの、後半に逆転されている。グループリーグ2位に甘んじたものの、その数日後に栄冠を勝ち取ったことはここでは説明の必要はないであろう。
■鉄壁の4バックが初めて機能したリバプール
同じ欧州選手権での対戦として印象深いのは1996年のイングランド大会での決勝トーナメント1回戦であろう。グループリーグ最終戦のブルガリア戦に勝利して決勝トーナメント進出を決めたフランスをリバプールのアンフィールドで待っていたのはオランダであった。オランダはこの大会の予選で唯一行われたプレーオフでアイルランドを破って本大会に出場し、グループリーグではイングランドに次ぐ2位になり、決勝トーナメントに勝ち残っている。実は前年の秋に行われた唯一のプレーオフの舞台がこのリバプールのアンフィールド競技場なのである。オランダは前年の冬に世界一となったアヤックスのメンバーを主力とし、攻撃サッカーを身上とする。トーナメントであるからフランスはまず守備を安定させてジネディーヌ・ジダンを起点とする攻撃に期待したい。現在は守備が安定しているフランス代表であるが、当時はメンバーがなかなか固定せず、試行錯誤の連続であった。イングランド入りしてからグループリーグの3戦では、バックスのメンバーは猫の目のように変わった。
エメ・ジャッケ監督はこのオランダ戦はグループリーグ最終戦のブルガリア戦と同じリリアン・テュラム、マルセル・デサイー、ローラン・ブラン、ビシャンテ・リザラズという4バックをピッチに送り出す。この4人がよく持ちこたえ、90分を無得点に押さえる。一方の攻撃陣も得点をすることができず、試合は延長に突入する。この大会から日本ルールであるゴールデンゴール方式が導入され、その適用の最初となる可能性もあったが、延長の前後半も両チーム無得点でPK戦になる。フランスは5人全員が成功させて、準決勝に進出する。記録の上ではスコアレスドローでしかないが、黄金の4バックが機能した最初の試合として後々まで語り継がれる試合となった。
■スペイン行きに前進したパリでの直接対決
そしてフランスのファンにとって一番感動的な試合は1981年11月18日のワールドカップ・スペイン大会予選であろう。フランス、オランダ、ベルギー、アイルランド、キプロスという5か国の中から2チームがスペイン行きのチケットをつかむ。フランスはホームでベルギー、アイルランドに連勝したものの、キプロス以外の国にはアウエーで全敗という戦い。ホーム2試合を残して3勝3敗の勝ち点6。最終戦のキプロス戦の前に控えるオランダ戦が天王山となった。すでに全日程終了したベルギーは勝ち点11、アイルランドは勝ち点10、オランダはフランス戦を残すだけで勝ち点9。すなわちオランダは勝てば本大会出場、引き分けならばアイルランドと勝ち点、得失点差で並ぶ。一方フランスは残る試合連勝すれば得失点差でアイルランドをしのぐことができる。
この極限状態での試合でフランスの若き中盤、ミッシェル・プラティニ、ベルナール・ジャンニーニ、アラン・ジレスが活躍する。プラティニは先制点もあげ、フランスは2-0で勝利し、パルク・デ・プランスは歓喜に包まれる。フランスは残るキプロス戦にも4-0で勝利し、2大会連続のワールドカップ出場を決めたが、本当の歓喜の瞬間はオランダ戦だったのである。この試合の主役はプラティニであり、1982年スペイン、1984年フランス、1986年メキシコと本大会で輝かしい成績を残すことになったのである。(続く)