第424回 フランスに戻ってきた監督たち(4) フランスで初陣を飾ったアルツール・ジョルジュ
■選手としてベンフィカで活躍
このシリーズで紹介しているアフリカの6チームの監督はそれぞれフランスと関係があるが、その中でフランス国籍でもなく、フランスでの選手経験のない監督が1人だけいる。それが今回紹介するカメルーン代表のポルトガル人監督アルツール・ジョルジュである。
現在59歳のジョルジュは1960年代から1970年代にかけてポルトガルのビッグクラブであるベンフィカに所属し、リーグ優勝4回、そして得点王2回という輝かしい記録を残している。ベンフィカは1970年には大阪万博を記念して訪日しており、日本の皆様もよくご存知であろう。ジョルジュの現役時代はまだサッカーの国際化が進んでいない段階であり、他国での選手経験はなかったが、引退して指導者になってからはサッカーが国際化するとともにジョルジュも国際的な活躍をした。
■欧州チャンピオンズカップで優勝、パリサンジェルマンでも活躍
現役引退後はドイツで指導者となるべく教育を受け、ポルトガルに戻って中堅のクラブの監督を務めてからFCポルトの監督となる。そしてポルトガルリーグでの優勝は3回、そして1987年には欧州チャンピオンズカップで優勝している。ちなみに欧州チャンピオンとして訪日した雪のインターコンチネンタルカップの際はトミスラフ・イビッチに監督の座を譲っており、日本の皆様の前にその采配を見せることはなかった。
奇しくもジョルジュもイビッチも後にパリサンジェルマンの監督を務めている。FCポルトの監督としてはジョルジュの方がイビッチよりも先輩であるが、逆にパリサンジェルマンではイビッチが第12代監督、イビッチの次は第回で紹介したアンリ・ミッシェル、そしてその次が第14代のジョルジュというわけで、ジョルジュはパリサンジェルマンの監督としてはイビッチよりも後輩となる。そしてジョルジュは3年間の在任中に欧州カップで2度ベスト4入りするとともに、国内でも1993年にはフランスカップを獲得、1994年にはリーグ優勝と華々しい成果を残した。また、パリサンジェルマンの監督になる前に同じパリを本拠とするマトラ・ラシンの監督も務めており、フランス人、特にパリジャンにとっては親しみ深い監督である。
■パリを去ってからは苦闘の10年間
リーグ優勝を花道に故郷ベンフィカに戻るが、その後は苦難に道を歩む。スイス代表の監督として1996年欧州選手権に出場したが1分2敗、さらに母国ポルトガル代表の監督も務めたが主要な国際大会の本大会に出場することはできなかった。スペインのテネリフェの監督も務めたが、これといった成績を残せず、解任される。1998年にはパリサンジェルマンのアラン・ジレス監督の辞任に伴い、復帰したが、2度目のパリは辛いシーズンであった。リーグカップ、フランスカップでの早期敗退の責任を取り、1999年3月にシーズン途中でパリを去ったのである。その後サウジアラビアのアル・ナサルの監督を経て、ロシアのCSKAモスクワの監督となるが、昨年7月に解任されてしまう。
■不振のカメルーンの監督に就任、初陣を飾る
このように10年前にパリを離れてからはこれといった成績を残せなかったが、ワールドカップの常連カメルーンの監督に今年の初めに就任する。カメルーンはワールドカップ予選で大苦戦、前半戦を終わったところで2勝2分1敗の3位、首位のコートジボワールと勝ち点で4の差が付いている。11月にドイツと親善試合をアウエーで行い、0-3と敗れた責任をとってウィンフリート・シェーファー監督が辞任する。
その後任としてフランス人の候補を抑えてジョルジュが監督となる。その初陣がこのセネガル戦なのである。試合会場のクレテイユはパリの近郊ということもあり、カメルーンの生んだ英雄、ヤニック・ノアも駆けつけ、ジョルジュとイレブンを激励する。1万人の観衆とテレビカメラの前で行われた試合は、終了間際にカメルーンのジェレミ・ヌジタブが得点をあげてカメルーンが勝利する。ジョルジュ新監督の船出を祝うとともに、ジョルジュ監督の思い出の地であるドイツで開催されるワールドカップへの望みを拡げたのである。(続く)