第425回 フランスに戻ってきた監督たち(5) フラット3を捨てたフィリップ・トルシエ

■マルセイユの順位を5位から2位にあげたフィリップ・トルシエ

 過去4回にわたり、2月第2週にフランス国内で行われたアフリカ勢同士の親善試合で指揮した6人の監督を紹介してきたが、読者の皆様から「かつて日本代表の監督であり、現在はマルセイユの監督であるフィリップ・トルシエについて近況を教えて欲しい」という多数のメールが寄せられた。トルシエもフランスに戻ってきた監督であることから取り上げることとしたい。
 読者の皆様もよくご存知の通り、トルシエは2002年のワールドカップ終了後、フランス代表監督選考の最終候補まで残るが選出されず、以後欧州、アフリカで就職活動を続けるが望みがかなわず、中東のカタール代表の監督に落ち着いた。しかしながらワールドカップアジア地区第一次予選途中で解任されてしまう。ところが昨年の11月末にマルセイユの監督辞任に伴い、念願のフランスのトップレベルでの監督の座を手中にする。
 トルシエのマルセイユの監督就任については本連載第402回で紹介したが、トルシエの就任時にリーグ5位であった順位は2月27日の第27節終了時で2位に上昇しており、今回はその急上昇の理由を紹介したい。

■就任以来のフラット3はファンの期待に応えられず

 就任直後のトルシエは苦戦した。初戦はリーグ戦第17節のアウエーのカーン戦、3-1と幸先よく勝利したものの、地元デビューとなる次節のオセール戦は敗戦する。その後、本拠地マルセイユでなかなか勝つことができず、マルセイユの熱狂的なファンを失望させてきた。特に本連載第411回で紹介した1月8日のフランスカップのベスト32決定戦では2部下位のアンジェに敗れるという大失態を演じた。ようやく1月16日のリーグ戦のニース戦で2-0と本拠地3試合目にして初勝利をあげるが、1月25日の地元でのソショー戦でも0-2と敗れ、就任以来の成績は4勝1分3敗、地元での成績は1勝3敗と不振が続いた。
 トルシエはマルセイユの監督になっても、アフリカ、日本で貫いてきたフラット3という3バックシステムを採用し続けた。現在、フランスのプロチームでこのシステムを採用するチームはなく、このフラット3が不振の理由であると指摘されてきた。

■試合前の選手の負傷により、4バックシステムを採用

 ところが転機となったのが1月29日のアウエーでのトゥールーズ戦であった。フランスのサッカーの都がマルセイユならば、ラグビーの都はこのトゥールーズである。おりしも同日にラグビーもトゥールーズはベジエを迎え、市民の関心はもっぱらラグビーに集まっていた。
 夕方のラグビーの試合でトゥールーズが46-10と完勝し、サッカーがマルセイユ戦を迎えようとした時、事件は起こった。このトゥールーズ戦も3バックで戦う予定だったが、試合前の練習中にブライム・アンダニが負傷する。またフラット3の中心のフレデリック・デウーも風邪で体調不良のため、トルシエは急遽4バックシステムに変更し、試合はキックオフされる。マルセイユの選手たちは慣れ親しんだ4バックシステムで本来の動きを見せ、3-1と完勝する。

■4バックシステムでフランス人になったトルシエ

 この勝利以降、トルシエは4バックシステムを採用し、マルセイユは続くレンヌ戦、バスティア戦に連勝、イストル戦は引き分けたが、4バックシステムでの戦績は3勝1分。リーグトップのリヨンとの勝ち点の差は8あるものの、後半戦の成績だけみればマルセイユがトップであり、首位奪還も夢ではない。
 4バックシステムは本連載第418回で紹介した1989年のスウェーデン戦以来フランスのスタンダードとなっている。そのスウェーデン戦の直後にフランスを離れ、アフリカに渡ったトルシエが4バックシステムを知らなかったのも無理はない。4バックシステムを採用した瞬間、トルシエはフランス人となり、マルセイユに受け入れられたのである。トルシエが4バックシステムを採用した1月29日は、トルシエがアフリカや日本で採用したフラット3の敗北の日であった。そして奇しくもこのトゥールーズの市営競技場は今をさかのぼること7年前、日本代表がワールドカップ本大会に初出場し、その初戦でアルゼンチンに敗れたスタジアムである。日本サッカーはトゥールーズで再び敗れたのである。(この項、終わり)

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