第485回 海外県マルティニックでの試合にアルセーヌ・ベンゲル監督が異議
■ドイツ戦に次ぐ第二の親善試合
前回までの本連載で紹介したとおり、大苦戦の末にワールドカップ予選を突破したフランス代表。終わってみれば、僅差での首位となり、プレーオフを経由せずにドイツ行きが決まった。プレーオフを経由しないということは本大会までの準備期間が1月長くなったということを意味し、早速ワールドカップへの準備が始まった。元々、グループ首位で予選を突破した場合は、プレーオフがちょうど行われている11月12日にドイツを迎えて親善試合を行うということが内定しており、予定通りスタッド・ド・フランスで開催されることになった。さらにレイモン・ドメネク監督はこの直後のインターナショナルマッチデーの16日にも第二の親善試合を行うことを希望した。
■コスタリカとの初対戦の舞台は海外県マルティニック
結局、11月9日にコスタリカとカリブ海の海外県マルティニックのフォー・ド・フランスで対戦することが決まった。マルティニックについては本連載第34回から第38回で紹介しており、多くの選手をフランスのサッカー界に供給している人材の宝庫であり、フランス協会はこのマルティニックへの感謝の念をこめて、海外県でのホームゲームの開催となったのである。また、コスタリカはワールドカップ予選では中南米カリブ地区を3位で通過している。
コスタリカとフランスはこれが初対戦となるが、この理由はいくつかある。まず、前回の本連載で紹介したとおり、コスタリカの予選の成績は10戦して5勝1分4敗で勝ち点16であり、これは10試合予選を戦って予選通過した国の中では最低の成績であり、ブービーのフランス(5勝5分、勝ち点20)と実力が拮抗している国同士の対戦となる。さらに12月9日に本大会の抽選会があるが、その後は対戦相手の選択も制限されるため、最近対戦していない中南米地域の国との対戦を経験しておこうとなったのである。
■遠隔地での親善試合に対し、アルセーヌ・ベンゲル監督が異議
ところが、このコスタリカ戦に異議申し立てがあった。ティエリー・アンリらが所属するアーセナルのアルセーヌ・ベンゲル監督である。アンリの代表招集は容認するものの、長距離の移動を伴う親善試合に対して疑問を呈したのである。長距離の移動を伴う親善試合というと2001年の秋を思い出す。チリ、豪州を訪問し、思うような結果を出すことができず、さらにはこの長距離移動が原因でチームの調子は低下し、本来の強化をすることができなかった。本連載の第73回、第80回の連載でも紹介しているとおり、長距離移動を伴う親善試合が、2002年のワールドカップでの惨敗の遠因となっていることは間違いなく、ベンゲル監督も同様に今回のフランス強化のマッチメーキングを批判している。
■コスタリカとの政治的関係、マルティニックでの慈善試合を支持
ところが実際にはフランス協会を擁護する声のほうが強い。この第二の国際試合の日程についても当初の16日とその1週間前の9日を比較検討し、国内外のリーグのスケジュールを勘案して9日に決定している。国内リーグは11月5日と6日に第14節、そして11月20日と21日に第15節が予定されているが、各クラブとも代表選手をマルティニックに派遣することに対して好意的である。それは先述したとおりこの海外県が各クラブを支える人材の宝庫だからである。日本の大相撲が北海道や青森で巡業を行うのと同じ理由である。
さらにこの試合の対戦相手と場所については深い意味が隠されている。まず、コスタリカのユニフォームの色はフランスと同じ青白赤の三色を使用しているが、これはコスタリカ国旗がこの三色から成り立っているからである。このコスタリカ国旗はかつての中央アメリカ連邦の旗に、フランス革命で自由を獲得するために流された血を象徴する赤を追加して制定された。フランスとコスタリカにはこのような歴史がある。そして、ジネディーヌ・ジダンが復帰した8月17日のコートジボワール戦前に黙祷が捧げられたが、これはその前日にベネズエラで起こった飛行機事故の犠牲者に捧げるものであった。墜落した飛行機はパナマからマルティニックへと向かうコロンビアの航空会社のチャーター機であり、犠牲者のほとんどはマルティニックに住むフランス人であった。今回のマルティニックでの試合はその慈善試合という意味合いを持つ。
このようにフランスではスポーツの親善試合は政治や外交の中で決定されていく。このような背景を理解している関係者はカリブ海でのホームゲームを受容したわけだが、その選択が正しいかどうかの回答は来年の6月にドイツで出るのである。(この項、終わり)