第522回 2006年アフリカ選手権(6) 古豪エジプト、最多となる5度目の優勝
去る2月7日にアフリカ選手権開催地のカイロで急逝された日本を代表するジャーナリストである富樫洋一様の冥福を心からお祈り申し上げます。
■日程面でも開催国エジプトにアドバンテージ
アフリカ選手権の準決勝にはエジプト、セネガル、ナイジェリア、コートジボワールが進出した。準決勝はエジプト-セネガル、ナイジェリア-コートジボワールの組み合わせで行われるが、西アフリカ地域からの3チームに立ちはだかるのが開催国エジプトである。試合会場について開催国を優先したルールが残ることを前々回の本連載で紹介したが、日程的でも開催国のエジプトの所属するグループAが優遇されている。グループリーグの日程はグループAが最も早く日程を消化し、グループB以下はそれぞれ1日遅れで日程を消化することになる。つまりグループリーグ最終戦と決勝トーナメントの試合間隔が、グループAのチームはグループDのチームよりも3日早く決勝トーナメントの戦いを始めることになり、決勝トーナメントを余裕のある日程で戦うことができる。
また、準々決勝でもナイジェリア、コートジボワールが120分間戦った上にPK戦を勝ち抜き、セネガルも前半はリードされ、ロスタイムに1点差に追い詰められるなど苦しい戦いをしてきたのに対し、エジプトはコンゴ民主共和国に楽勝しており、疲労も他チームに比べて少ないであろう。
■エジプトとコートジボワールが決勝進出、グループリーグの再戦
準決勝もまた超満員のファンの前で戦うエジプトは39歳6か月のホッサム・ハッサンをベンチスタート、36分にPKを得る。アーメド・アッサヌが得点王争いのトップに並ぶ大会4得点目を決めて先制する。準々決勝で復調したセネガルも52分にマルセイユに所属するママドゥ・ニアンのゴールで同点に追いつく。ところが地元開催の面目をかけたエジプトの勢いが勝り、81分にアムル・ザキが決勝点を挙げて、1998年以来の決勝進出を果たす。
もう1つの準決勝のコートジボワールとナイジェリアの戦いは西アフリカの盟主争いとなる。コートジボワールはエースのディディエ・ドログバが決勝点を挙げ、実に1992年大会以来2回目の決勝進出を果たした。1992年大会はセネガルで行われたが、日本からも故富樫洋一氏が取材で訪れており、この大会のコートジボワールの活躍の様子は日本の皆様もよくご存知であろう。
決勝に進出したエジプトとコートジボワールはグループAからの勝ち上がりであり、2004年欧州選手権決勝(ギリシャ-ポルトガル)に続いてグループリーグの再戦となった。
■トリノ五輪開会式直前までもつれ込んだ熱戦を制したエジプト
決勝は通常ならば週末に行われるが、今大会は2月10日の金曜日の夕方、すなわちトリノ五輪開会式の始まる3時間前にキックオフされた。アフリカから冬季五輪に出場する選手は多くないが、あえてトリノ五輪と日程が重ならないようにしたのはこのアフリカ選手権が欧州でも注目を集めることを意味している。ちなみにフランスにおける今回の決勝のテレビ視聴者数は実に420万人に上った。
両チーム、得点がないまま時計の針は進む。80分を過ぎたところでエジプトはエースのホッサム・ハッサンを投入するが、ゴールには至らず、90分が終了する。延長に突入しても両チーム得点をあげることができず、五輪開会式の放映が近づく中、多くの視聴者がテレビの前で試合を見守るなかで、試合はPK戦に突入する。先蹴はエジプト、コートジボワールは準々決勝で2度のPK成功を果たしたドログバが失敗する。3番手が両国とも失敗して、最後の5番手でエジプトのモハマド・アボ・トレカが成功させてエジプトは前回のチュニジアに続いて開催国優勝を果たす。一方、フランス人監督が連覇は果たすことはならず、アンリ・ミッシェルはドイツの地でこの悔しさを晴らすことになる。
■欧州に依存度の低い古豪エジプト
振り返ってみれば、優勝したエジプトには旧宗主国はなく、監督はエジプト人、23人の選手もほとんどは国内リーグに所属しており、国外のクラブに所属している選手はストラスブールのアブド・ラボ・オスニを含み、わずか4人だけである。近年のアフリカの潮流として優秀なタレントが欧州のクラブに移籍し、欧州の戦術を学ぶとともに、欧州人の監督を招いて代表チームを構成するという動きがあった。ワールドカップ予選では新旧の勢力交代が起こり、今回のアフリカ選手権のグループリーグでは既勢力が新興勢力に対して巻き返したが、最終的に頂点に立ったのは、既存勢力よりも前の世代であり、欧州への依存度の低い古豪エジプトであった。エジプトは最多となる5回目の優勝を飾り、25回を数える大会のちょうど2割の大会で頂点に立ったのである。(続く)