第529回 最後のテストで手痛い敗戦(2) 10番ジダンが誕生した11年前のスロバキア戦
■今回もワールドカップ出場国と試合を組まなかったフランス
思わぬ新人を抜擢するとともに、期待されたベテランを復帰させることなく臨んだスロバキア戦であるが、相手のスロバキアについても簡単に紹介しよう。スロバキアは今回のワールドカップ予選ではグループ3でポルトガルに次ぐ2位となり、プレーオフに出場する。プレーオフではスペインと対戦し、第1戦のアウエーで1-5と大敗し、第2戦のホームでは1-1という引き分けに終わり、ワールドカップ出場の道を断たれている。前回のワールドカップでは本大会に出場する1年前からのフランスの親善試合の対戦相手に出場権を逃した国が多かったことを紹介したが、このスロバキア戦もその点は改善されておらず、4年前の教訓が生かされていない。
■独立後初のタイトルマッチとなったスロバキア-フランス戦
しかし、このスロバキアの歴史をさかのぼると興味深いことがわかり、ある意味では現在のフランス代表にとってふさわしい対戦相手である。
スロバキアは1993年にチェコスロバキアがチェコとスロバキアに分かれて独立した国であり、サッカーの世界では1996年欧州選手権予選から国際舞台にデビューしている。その予選の最初の試合でフランスはスロバキアと対戦する。スロバキアはこの試合が独立後7試合目であったが、これが最初のタイトルマッチであり、その対戦相手がフランスなのである。
■エメ・ジャッケ体制で初のタイトルマッチはドロー
首都ブラチスラバで1994年9月7日に行われた試合はスロバキアにとって記念すべき試合となるだけではなく、1994年ワールドカップ出場を逃したフランスにとってもエメ・ジャッケ監督になってから初めてのタイトルマッチである。用意周到なジャッケ監督は直前の親善試合でチェコと対戦、0-2とリードを許しながら、後半途中に代表デビューさせたジネディーヌ・ジダンが2得点という神業の同点劇でドローに持ち込む。キリンカップというビッグタイトルを獲得し、影の世界チャンピオンと言われた当時のフランスにとって試金石となる試合であったが、エースのジャン・ピエール・パパンを負傷で欠き、チェコ戦のヒーロー、ジダンもさすがにタイトルマッチでは起用できないと判断したのか、ベンチ入りしただけになった。途中、停電による中断というアクシデントはあったもののフランスはゴールを奪うことができず、スコアレスドロー、大きな不安とともにサッカーの母国での欧州選手権の道のりの遠さを感じさせた1戦となったのである。
フランスは続くホームでのルーマニア戦、アウエーでのポーランド戦とスコアレスドローが続き、ようやく4戦目のアウエーでのアゼルバイジャン戦で2-0と初勝利をあげる。ところが年が明けた1995年のアウエーのイスラエル戦では再びスコアレスドロー、前半戦を終わり、すべての相手と対戦した時点で1勝4分、無失点であるものの得点はわずかに2という状況であった。
■初先発のジダンが大活躍、スロバキアに大勝、栄光への出発
そのフランスにとって転機となる試合が1995年4月26日にナントで行われたスロバキア戦であった。ジャッケ監督はジダンを先発メンバーに起用する。ジダンは衝撃のデビュー戦の後、ルーマニア戦に途中出場しただけであり、これが代表3試合目、そして初先発であった。このジダンをジャッケ監督はトップ下の10番の位置に起用し、見事成功、4-0と大勝する。ジダンは4得点中3得点にからむ活躍で、以後の予選4試合もすべて先発しフル出場する。後半5試合の成績は4勝1分、得点20、失点2と前半戦とはうって変わった成績でドーバー海峡を渡るチケットを手にしたのである。
ジダンが初先発したスロバキア戦は本大会への出場への再出発の起点となっただけではなく、その後は従来のパパン、カントナ、ダビッド・ジノラというメンバーから脱却し、ジダンを中心としたチーム編成は1996年欧州選手権ベスト4、1998年ワールドカップ優勝、2000年欧州選手権優勝という栄冠へつながったのである。そのジダンも今回のスロバキア戦は代表99試合目となる。現在のフランス代表の状態はジダンがデビューした頃と似ている。すっかり熟成したジダンがこの沈滞したムードを打ち破ることができるのであろうか。(続く)