第562回 3つの親善試合、メキシコ戦(1) ジネディーヌ・ジダン、最後の聖地
■リーグ戦終了後、1月弱も用意された準備期間
2004年欧州選手権につづいて今回のワールドカップも1998年ワールドカップと2000年欧州選手権の優勝メンバーに依存しなくてはならないフランスであるが、サッカーは11人で行う競技であり、そして1月にわたる大会ともなれば登録メンバー23人の総力で戦わなくてはならない。
今回のワールドカップは主要国のリーグ戦終了から開幕まで1月弱の間隔が設けられており、この準備期間を有効に使うことができるか否かが、分水嶺となる。前回のワールドカップでは、東アジア地区のタレントを多く抱えるJリーグが、欧州主要国のリーグ終了よりも1月早くワールドカップのために中断し、東アジアの日本と韓国が大躍進をしたことは記憶に新しい。欧州勢としては今回はたっぷりと準備をして地元開催のワールドカップを南米勢やアジア勢に奪われないようにしたいところである。
■ティーニュ合宿と3つの親善試合
フランス代表は5月14日にメンバーを発表し、21日から26日までティーニュで合宿を行う。ティーニュといえば日本人ならば千葉信哉を想起されるであろう。ティーニュ遠征をステップに千葉が世界の檜舞台へ飛び出したことはフランスでもよく知られており、フランス人にとっても誇りとすべき地である。
そのティーニュでの合宿を経て、本大会までにフランスは3つの親善試合を準備している。フランス代表は27日にスタッド・ド・フランスにメキシコを迎え、31日にはランスでデンマークと対戦する。そして6月7日にサンテチエンヌで中国と対戦してからドイツ入りし、13日のスイスとの第1戦に備える。
■代表100試合目を迎えるジダン
ワールドカップ出場国であるメキシコ、デンマークと対戦し、ワールドカップ出場を逃した中国と対戦する日程となっているが、この中で特別な意味を持つ試合が最初のメキシコ戦である。
今回のワールドカップで代表だけではなく選手として引退を表明しているジネディーヌ・ジダンにとってこれがちょうど代表100試合目という記念すべき試合となる。さらにジダンがフランス・サッカーの聖地スタッド・ド・フランスで試合を行う最後の機会となる。ジダンはこれまでに代表で99試合出場しているが、そのうちの26試合はこのスタッド・ド・フランスで行われた試合である。
■数多くのスタッド・ド・フランスでのジダンの物語
ジダンとスタッド・ド・フランスというといくつかの物語がある。最初の物語は1998年1月28日、自国でのワールドカップ開催のために建設されたメイン競技場の杮落としのスペイン戦である。ジダンはスタッド・ド・フランスで最初にゴールネットを揺らした選手となる。試合はジダンのゴールで無敵艦隊スペインを下す。
スペイン戦はフランス代表がワールドカップ前にスタッド・ド・フランスで行った唯一の試合であり、フランス代表、ジダンにとって2回目のスタッド・ド・フランスはワールドカップのグループリーグ第2戦のサウジアラビア戦である。この試合の70分、ジダンはレッドカードを受け、退場してしまう。スタッド・ド・フランスでの第一得点者であるジダンは実は第一退場者でもある。しかし、不名誉な退場者となったジダンは2試合欠場した後、準々決勝のイタリア戦で戻ってくる。準々決勝から決勝までフランスはスタッド・ド・フランスで戦うこととなるが、決勝のブラジル戦でのジダンの2得点はフランスのサッカーにとってこれ以上ない至福のゴールであろう。
ワールドカップが終ってもジダンの物語は続く。2001年10月5日のアルジェリアとの親善試合については本連載第5回から第12回にかけて紹介したが、アルジェリア移民を両親に持つジダンにとって特別の試合であった。フランス代表はグラウンド外からの雑音を気にせず、最高の試合を展開するが4-1とリードした76分にアルジェリア国籍を持つ若者たちがピッチに入り込んできたために試合は中断されてしまう。
このようにスタッド・ド・フランスでのジダンはフランスのファンにとって特別な存在であり、このメキシコ戦は通常の親善試合以上の盛り上がりを見せたのである。(続く)