第675回 21年ぶりのアルゼンチン戦(2) コンフェデレーションズカップ、キリンカップでも対戦せず

■コンフェデレーションズカップで驚異的な成績を誇る両国

 前回の本連載では近年のワールドカップでフランスとアルゼンチンが上位進出しながらも、対戦する機会がなかったことを紹介したが、ワールドカップ以外に両チームが対戦する可能性のあるタイトルマッチはコンフェデレーションズカップである。コンフェデレーションズカップは各大陸別選手権の優勝チームが一堂に会す大会であり、1992年に始まった。これまで7回開催され、フランスは2回出場し2回とも優勝、アルゼンチンは3回出場し、1回優勝2回準優勝、すなわち両チームとも出場すれば必ず決勝まで進出するという驚異的な成績を誇っている。

■同一の大会に出場したことのない両国

 それではこの歴史を振り返って見よう。第1回大会はサウジアラビアで行われ、アルゼンチンが優勝したが、欧州からは出場しなかった。1995年大会もサウジアラビアで開催されたが、欧州代表として1992年の欧州選手権優勝チームのデンマークが出場した。決勝はそのデンマークと南米代表のアルゼンチンが対戦し、デンマークが優勝している。1997年大会にはアルゼンチンは出場せず、南米からはブラジルとウルグアイが参戦、欧州からは1996年欧州選手権優勝のドイツではなく準優勝のチェコが出場した。次の1999年にメキシコで行われた大会でも、フランス、アルゼンチンとも出場していない。そして5回目を迎えた2001年大会についにフランスが2000年欧州選手権の優勝チームとして初出場した。この大会でフランスは優勝を飾るが、南米の代表はブラジルであり、アルゼンチンはこの大会も出場権を逃している。2003年大会はフランスで行われ、2000年の欧州選手権王者として連続出場したフランスがまた優勝したが、南米代表はブラジルとコロンビアであり、アルゼンチンは出場していない。そして記憶に新しいドイツでの2005年大会、アルゼンチンは復活出場を果たし、決勝でブラジルに敗れる。一方、欧州代表は2004年欧州選手権優勝のギリシャと開催国のドイツであり、フランスは出場しなかったのである。
 このように両チームが同一の大会に出場したことはなく、対戦の機会がなかったのである。

■ディエゴ・マラドーナの入国拒否、幻となったキリンカップでの対戦

 ワールドカップ、コンフェデレーションズカップというFIFA主催の公式戦での対戦の機会に恵まれない両国であるが、さらにもう1つすれ違いがある。それが1994年のキリンカップである。日本で行われる三国対抗であるが、本連載の第45回でも紹介したとおり、世界で2番目に長い伝統を持つスコットランド代表の歴史を変え、ワールドカップと欧州選手権の本大会以外では使用しなかった固定背番号制を導入させたように、力のある大会である。招待される大会としては世界中で最も権威のある大会であると言えよう。
 この大会は5月に行われることから、ちょうど欧州ではシーズンが終了した段階である。そして偶数年の場合、ワールドカップや欧州選手権の本大会の直前となる。この1994年はワールドカップ米国大会が控えており、欧州勢はワールドカップに出場しない国が招待された。前年の11月に予選で敗退したフランスに白羽の矢が立った。そして南米勢はこの大会を通じてワールドカップの本大会に向けたコンディション作りを行うことから、ビッグネームであるアルゼンチンを招聘した。フランスはアルゼンチンと対戦することができるということで、各国リーグ戦を終了したばかりでワールドカップ中のバカンス前の選手を招集し、初の極東遠征を承諾した。
 しかし、アルゼンチンの主力であるディエゴ・マラドーナが薬物問題の前科があるということで、日本への入国が許可されないという問題が起こった。アルゼンチンはこの日本政府の措置に反発して大会参加をボイコットする。このようにしてフランス-アルゼンチン戦は幻に終わったのである。

■フランスにとって収穫のあった日本遠征

 アルゼンチンの欠場により、フランスも出場を取りやめるべきかどうか話題になったが、就任したばかりのエメ・ジャッケ監督は貴重な強化の機会として参加し、優勝する。アルゼンチンの代替出場となった豪州との戦いで若手のファビアン・バルテス、クリストフ・デュガリーが代表にデビューする。もしもこれが強豪のアルゼンチン戦や、地元の日本戦であれば2人の代表デビューはなかったかもしれない。そして彼らのその後の活躍、彼らが中心となった1996年欧州選手権以降のフランス代表の成績を見れば、フランスにとって大きな収穫があったのである。(続く)

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