第939回 アルゼンチンに完敗(3) 今世紀初めてのサッカーの代表戦となるベロドローム競技場
■ディエゴ・マラドーナに対するマルセイユの特別な思い
20年前のマルセイユがかなわなかったディエゴ・マラドーナにファンや世間の注目が集まった。マラドーナがフランス入りしてからはどこに行ってもマラドーナの周辺には大人数のマスコミ、ファンが取り巻く過熱ぶりであった。1980年代末から1990年代初頭にかけて絶頂時を迎えたマルセイユが、結局欧州の頂点に立つことができず、その後転落したこと、そして同時期に選手として絶頂を極めていたマラドーナが、その後はさまざまなトラブルを起こして転落していったことを思えば、20年前にマラドーナがマルセイユに移籍していたならば、マルセイユとマラドーナのその後は変わっていたであろう。そして世界のサッカーの流れも大きく変わっていたであろう。
このマラドーナに対するマルセイユを中心とするフランス全体の熱狂は、マラドーナとマルセイユの関係がいまだにフランスのサッカーファンの心の奥底に根付いていることを改めて感じさせる一戦となった。
■フランス代表も多くのファン囲まれる
マラドーナばかりに注目が集まった感のあるアルゼンチンとの試合であるが、フランス代表に関してはレイモン・ドメネク監督に対する評価は散々であるが、主役である選手に対する期待は大きい。マルセイユでの試合に向けて、フランス代表はトゥーロンで練習を行ったが、4000人のファンがグラウンドを取り囲み、選手たちはファンにもみくちゃにされながら、グラウンドを出入りすると言う状態で、南仏では相変わらずフランス代表に対する期待が高いことがよくわかる。
■当初はなかなか勝てなかったマルセイユでのフランス代表
フランスのサッカーにとってマラドーナの件だけではなく、マルセイユというのは特別な場所である。マルセイユではフランス代表は非常にいい成績を残している。これまでにフランス代表はマルセイユで12試合行っており、6勝3分3敗という成績である。マルセイユでフランス代表が初めて試合を行ったのは1921年2月20日のイタリア戦のことである。この時はまだベロドローム競技場が完成しておらず、ウボーヌ競技場での試合であり、1-2とフランスは敗れてしまう。
1937年には翌年のワールドカップ開催を控えてベロドローム競技場が完成する。?落としはマルセイユがイタリアのトリノを迎え、マルセイユが2-1と勝利し、16年前の借りを返した。残念ながら1938年のワールドカップはマルセイユでフランス代表が試合をすることはなかったが、フランス代表が初めてこのベロドロームで試合を行う日がやってきた。1942年3月8日のことである。ところが、このとき、フランスは占領下である。ビシー政権下と言うこともあり、マルセイユで試合が行われたのであろう。フランスはベルギーと対戦するが、この試合も0-2で敗れてしまう。実はこの試合が占領下のフランス国内で行われた唯一の代表の試合なのである。
そして、戦後になり平和が訪れ、新たに冷戦が始まり、1960年の第1回の欧州選手権でマルセイユのベロドロームは試合会場となる。準決勝のソ連-チェコスロバキア戦と3位決定戦が行われた。もう1つの準決勝でユーゴスラビアに敗れたフランスはチェコスロバキアと3位をかけてベロドロームで戦うが、0-2と敗れ、マルセイユで3連敗となる。
■1960年以降は無敗、10年ぶりの代表同士の試合
1965年のワールドカップ予選でフランスはルクセンブルグと対戦し、4試合目にしてフランス代表はマルセイユで初勝利を上げる。ここからはさまざまな伝説がベロドロームで誕生した。1984年欧州選手権準決勝のフランス-ポルトガル戦、2002年ワールドカップのフランス-南アフリカ戦などフランスのサッカーファンにとっては忘れられない試合が繰り広げられた。そして振り返ってみれば、1960年以降は9勝3分と負けなしと言うすばらしい結果になっているのである。
ところが、このベロドロームは最近はラグビーのフランス代表の試合が多く、サッカーのフランス代表は2000年に世界選抜と試合をしたのが最後であり、代表同士の試合は1999年1月20日のモロッコ戦以来である。10年ぶりの代表同士の試合となり、ベロドロームでフランス代表を待つ観客のボルテージは高まったのである。(続く)