第1066回 2010年アフリカ選手権(7) 2つの変化の現れた大会

■姿を消したアンリ・ミッシェル、クロード・ルロワ、アンリ・カスペルチャック

 本シリーズの最終話となったが、今大会で現れた2つの変化を紹介しよう。
 前々回はガボンのアラン・ジレス監督、カメルーンのポール・ルグアン監督を紹介したが、彼ら2人はいずれも初めてのアフリカ選手権である。これまでアフリカの代表チームのフランス人監督として活躍してきたアンリ・ミッシェルやクロード・ルロワ、アンリ・カスペルチャックなどの名前が見当たらない。
 アフリカ諸国で数多くのチームを率いたミッシェルは前回大会ではモロッコ代表の監督として出場したが、グループリーグで敗退し、解任されている。その後は南アフリカのマメロディ・サンダウンズ、エジプトのアル・ザマレクというアフリカの強豪クラブを率いたが、代表チームの監督として声はかからず、今回のアフリカ選手権には出場していない。ポーランド系フランス人のカスペルチャックは前回大会のセネガル以外にマリ、モロッコ、k¥チュニジア、コートジボワールとアフリカの代表チームの監督を歴任している。2008年には故国ポーランドのグルニク・ザブジェの監督を務めたが。その半年後には成績不振で監督の座を奪われた。
 1988年大会でカメルーンを率いて優勝を果たしたルロワは前回大会はガーナを率いて3位に導いたが、その後ガーナを離れ、オマーンの代表監督になっている。
 このように見てみると従来アフリカで活躍してきたフランス人監督たちが退き、ジレスとルグアンという初顔監督になったと言うことはフランスサッカーにとっては大きな転換点になるのかもしれない。

■アフリカ選手権に大量8人を送りこんだニース

 そしてこのアフリカ選手権はフランスのクラブから大量に選手が参加するため、影響を受けるフランスのクラブがある。今回の場合、ニースがそうである。ハビブ・バモゴ(ブルキナファソ)、ミカエル・ポテ(ベナン)、エメルス・ファエ(コートジボワール)、エリック・ムールンギ(ガボン)、マハナン・トラオレ、ママドゥ・バガヨコ(マリ)、オニェカチ・アパム(ナイジェリア)、シャウキ・ベンサーダ(チュニジア)と8人もの選手がアフリカ選手権に出場するために年明けから1月一杯、所属チームを離れた。

■長いトンネルから抜け出せないニース

 ニースは11月には4連勝して順位を9位まで上げたが、11月22日のトゥールーズ戦を最後に勝ち星から見放され、リーグ戦の前半戦を終えた段階で16位と低迷する。年明けから巻き返しを図りたいところであったが、大量の選手をアフリカ選手権に奪われ、年明け最初のフランスカップベスト32決定戦ではナショナルリーグのプラベネックに敗れる。本連載第1054回で紹介したとおり、1部チームでは唯一下部のリーグのチームに敗れてしまったのである。これはアフリカ選手権組を失ったことが大きく影響しているであろう。ニースは泥沼から抜け出すことができなかった。1月にはリーグ戦が3試合行われたが、3試合とも敗れており、リーグ戦では9試合勝ちから見放された。
 アフリカ選手権から選手が戻ってきた2月6日のホームでのリール戦でもベンサーダが先制点をあげたものの、後半に追いつかれ引き分けに終わる。さらに翌週の13日に行われたバランシエンヌ戦でも1-2と敗れ、リーグ戦で11試合連続引き分け以下であり、後遺症が残っているのである。

■日本のファンが注目したブルキナファソのウィルフリード・サヌ

 さて、今回のアフリカ選手権は日本でも注目を集めたようである。それはブルキナファソのウィルフリード・サヌがドイツの1FCケルンから日本の浦和レッドダイヤモンズに移籍した直後だったからであろう。ブルキナファソはトーゴの出場辞退によりグループリーグを2試合しか戦わず、サヌには出場機会がなかった。
 もしもサヌが出場していれば、日本のクラブから初めてアフリカ選手権に出場した選手となったのである。アフリカ選手権がシーズン中盤の欧州のクラブに与える影響は前述のニースのように少なくはない。ちょうどシーズンオフとなる日本のクラブに所属していれば、その影響は少ない。今後アフリカのトッププレーヤーはアフリカ選手権との日程面から日本のクラブを選択するケースが多くなるであろう。(この項、終わり)

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