第1509回 政情不安の中でアフリカ選手権開幕(6) 二重国籍の2人、八百長事件の追放者、国外で才能を発揮した師弟

 一昨年3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■フランスリーグで2度の得点王、バヒド・ハリホジッチ

 今回の出場国でフランスから独立した国はこれまでに紹介したモロッコ、チュニジア、コートジボワール、マリ、トーゴ以外にアルジェリア、ニジェール、ブルキナファソがある。この3か国はいずれも外国人監督を起用している。
 まずアルジェリアの監督はボスニア・ヘルツェゴビナ人のバヒド・ハリホジッチであるが、フランスで選手、監督として活躍した経歴を持ち、フランスの国籍も有している。本連載第1499回でも紹介したとおり、ナント時代は驚異的な得点力を誇り、2度の得点王に輝いているほか、パリサンジェルマンでも活躍している。監督としてはリール、レンヌ、パリサンジェルマンを率い、リールの1部昇格やパリサンジェルマンのフランスカップ獲得に貢献した。アフリカではモロッコのラジャ・カサブランカ、コートジボワール代表監督も経験し、2010年のアフリカ選手権、ワールドカップ出場に導いたが、アフリカ選手権の準々決勝でアルジェリアに敗れたところで辞任する。奇遇なことに自らを追うことになったアルジェリア代表の監督に2011年に就任したが、昨年のアフリカ選手権は予選落ち、今大会にかける意気込みは並々ならぬものがある。

■選手と監督としてボルドーで活躍したゲルノト・ロール

 ニジェールのゲルノト・ロール監督は昨年の本大会は開催国のガボンを率いていたドイツ生まれでドイツとフランスの二重国籍の持ち主である。ロールは選手時代のほとんどをボルドーで過ごしている。1985年の日本遠征のメンバーであり、東京での第1戦は出場しなかったが、神戸での第2戦には出場しており、日本の読者の方はロールをフランス人であると思っていらっしゃった方も少なくないであろう。監督としてもボルドーをはじめ、ニース、ナントなどフランスのクラブの監督歴が長い。2008年にチュニジアのエトワール・サヘルに赴いたのが初めてのアフリカ、2010年のアフリカ選手権後にアラン・ジレスの後任としてガボン代表の監督に就任し、グループで3戦全勝、決勝トーナメントの初戦で敗れたが、大きな足跡を残し、9月にニジェールの監督に就任し、フランス人のジャッキー・ボヌベイがコーチを務めている。

■八百長事件でベルギーを追放されたポール・プット

 ブルキナファソはフランス人のフィリップ・トルシエなどフランス人監督を起用したが、現在はベルギー人のポール・プット監督である。選手としても監督としてもベルギー一筋のプットがブルキナファソの監督になったのは理由がある。2005年に発覚したベルギーサッカーの八百長問題で永久追放処分を受けたのである。そののち控訴し、追放は3年間に減刑されたが、ベルギーにとどまることはできず、国外に活動の場を求め、2008年にこれまで一度もワールドカップだけではなくアフリカ選手権の本大会に出場したことのないガンビア代表の監督となった。在任中にガンビアをアフリカ選手権に導くことはできなかったが、2012年3月にブルキナファソ代表の監督となり、予選を勝ち抜く。現在欧州を揺るがしている八百長事件でしばしば名前が取りざたされるプットは、アフリカの地で監督を続けているのである。

■クロード・ルロワとエルベ・ルナールの師弟コンビ

 前回までの本連載で3人のフランス人監督を紹介したが、フランス人監督はあと2人いる。まず昨年の大会の優勝監督であるザンビアのエルベ・ルナールである。選手として1部の試合にはわずか1試合しか出場しておらず、指導者としてもトップクラスのクラブを率いたことはないが、2007年にガーナ代表のコーチとなる。この時のガーナ代表の監督がクロード・ルロワであった。ルナールは、翌年に独り立ちし、ザンビア代表の監督に就任、アンゴラ代表やアルジェリアのUSMアルジェを経て、再びザンビアを率い、優勝したのである。
 そしてルナールの師匠のルロワは今大会はコンゴ民主共和国を率いる。1985年にアフリカに渡ったルロワも多くの国で代表監督を務めたが、アフリカ選手権の優勝は1988年のカメルーン監督時代の1回だけである。25年ぶりの優勝をベテラン監督は狙っているのである。(この項、終わり)

このページのTOPへ