第1582回 U-20ワールドカップで初優勝(1) 育成大国としては不本意なこれまでの成績
昨年3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■第1回ワールドユーストーナメントに出場したフランス
サッカーとラグビーの代表が南半球遠征で惨敗した6月であったが、シーズンオフのフランスサッカー界には明るい話題が2つあった。まず、6月下旬からブラジルで開催されたコンフェデレーションズカップでのタヒチ代表がさわやかな戦いである。サッカー王国ブラジルのファンに拍手喝采を浴びたが、結果的には3連敗。一方、6月下旬から7月にかけてトルコで開催されたU-20ワールドカップでフランスが初優勝するという快挙を見せた。今回からこの若きフランス代表について紹介しよう。
育成大国と思われているフランスであるが、実はアンダーエイジでの戦績は芳しくない。育成システムが確立し、オリンピックの欧州・南米代表に年齢制限が適用された1984年のロサンジェルスオリンピックで優勝していることが鮮烈な印象を与えているが、FIFA主催の最初の年齢別大会であるU-20ワールドカップは1977年にワールドユーストーナメントとして誕生したが、フランス代表はチュニジアでの第1回大会に出場している。
■開幕戦に出場、スペインに敗れる
フランスはワールドカップ同様このワールドユースでも記念すべき開幕戦を戦っている。本家ワールドカップではその47年前にメキシコに勝利しているが、このロデスで行われた試合の相手はスペイン、スペイン相手に1-2と敗れている。思えばこの敗戦がその後のこの年代のフランス代表の苦戦を暗示していたのかもしれない。フランスは残るグループリーグで開催国チュニジアに勝利、メキシコと引き分け、1勝1分1敗、得失点差0でスペインと並んだが、直接対決の結果でスペインに決勝トーナメント進出を譲り、グループリーグで敗退している。
■20年ぶりに出場した1997年大会を支えた黄金メンバー
その後は長らく本大会出場から遠ざかっており、次にこの若者の大舞台に出場したのはマレーシアで開催された1997年大会まで待たなくてはならなかった。1997年大会は10大会ぶりの出場であり、これは1979年に開催国として出場して以来8大会ぶり出場となった日本を上回る長いブランクであった。
この時のフランスはティエリー・アンリ、ダビッド・トレゼゲ、二コラ・アネルカという盤石の攻撃陣、守備陣ではビリー・サニョル、フィリップ・クリスタンバル、ミカエル・シルベストル、GKにミカエル・ランドローという逸材がそろい、グループリーグの初戦ではブラジルに0-3と敗れたものの、グループリーグを突破し、決勝トーナメント1回戦でメキシコを下し、準々決勝では準優勝することになるウルグアイにPK戦で敗れている。
フランスは1999年大会はまた予選落ち、2001年大会には3回目の出場を果たし、この時もグループリーグを突破しているが、優勝した開催国アルゼンチンに準々決勝で敗れている。
■過去最高の成績となった2011年大会の4位
その後、2003年大会から2009年大会まで4大会連続で欧州予選で敗れており、コロンビアで行われた2011年大会に5大会ぶりに出場した。この大会の欧州予選となったのは前年の2010年に行われたU-19欧州選手権、この大会でフランスは優勝し、欧州1位としてコロンビアでのワールドカップに臨んだ。フランスはグエイダ・フォファナ、クレマン・グルニエ、アレクサンドル・ラカゼットと現在フランス代表入りした選手もいるが、チームの中心は日系三世のガエル・カクタであった。グループリーグでは開催国のコロンビアに敗れたが2位で決勝トーナメント進出、決勝トーナメントでは1回戦でエクアドルに1-0と勝利、準々決勝なナイジェリアと対戦、後半のロスタイムに追いつかれ、延長戦にもつれ込んだが、フォファナとラカゼットが得点し、ついに3度目の挑戦で準々決勝の壁を破ったのである。準決勝でポルトガル、3位決定戦でメキシコに敗れ4位となったが、最高の成績を残したのである。
しかし、フランスはこれまで18回開催されたU-20ワールドカップで出場はわずか4回、最高成績が4位、ベスト8が2回というのは、フル代表の活躍、整備された育成システムを持つ国としては若干寂しいものがあるといえるだろう。(続く)