第2121回 アフリカ選手権開幕(3) 5人のフランス人監督たち
6年前の東日本大震災、昨年の平成28年熊本地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■前回もアフリカ選手権に出場した5人のフランス人監督
前回の本連載では今回のアフリカ選手権に出場する16か国のうち13か国が外国人監督であり、旧宗主国とは異なる国からの監督が多数いることを紹介した。この13人の外国人監督のうちフランス人監督は5人であり、今回も最多である。
今回の出場16か国中過半数の10か国はフランスから独立した国である。10か国中自国人監督はセネガルだけであり、9か国は外国人監督であるが、5人がフランス人である。
この5人を紹介すると、コートジボワールはミッシェル・デュスイエ、マリはアラン・ジレス、トーゴはクロード・ルロワ、モロッコはエルベ・ルナール、チュニジアはヘンリク・カスペルチャックである。本連載の読者の方であればおなじみの名前ばかりである。この5人はすべて2年前の前回のアフリカ選手権にも監督として出場している。
ただし、2年前と同じ国を率いているのは誰もいない。デュスイエはギニア、ジレスはセネガル、ルロワはコンゴ共和国、ルナールはコートジボワール、カスペルチャックはマリのそれぞれ監督であった。これまでも本連載で紹介してきたが、彼らはアフリカのスペシャリストである。
■前回優勝監督のエルベ・ルナールを受け継いだミッシェル・デュスイエ
ルナールはコートジボワールの監督として前回の2015年大会を制したが、その年の夏、リールの監督に就任する。ルナールにとっては2013-14シーズンのソショーに次いで2回目のフランスリーグの1部での監督となったが、下位に低迷し、11月には解任されてしまった。エルベを受け入れてくれるのはアフリカであった。翌年の2月にモロッコの監督となり、予選を勝ち抜いて本大会出場を果たしたのである。
タイトルホルダーのコートジボワールでルナールの後任となったのがデュスイエである。デュスイエは2010年から2015年までギニアの監督を務め、最後の大会となった前回のアフリカ選手権では準々決勝までチームを導いた。アフリカ選手権後辞任し、2015年夏からコートジボワールの監督になる。デュスイエは以前にもコートジボワールのコーチを務めており、チームの連覇、そして自身の初タイトルを狙う。
■2度目のマリ監督となるアラン・ジレス
1980年代のフランス代表を支えた名手ジレスもアフリカに渡って10年以上になる。2001年にモロッコのFARラバトの監督になり、一旦はジョージアの代表監督として欧州に戻ったが、2006年にガボンの監督となり、2010年にはマリの監督、そして2013年にはセネガルの監督となる。セネガルの監督として臨んだ前回のアフリカ選手権ではグループリーグ敗退、解任される。この1月後、マリの監督として2回目の指揮を執る。マリの監督としては2012年大会で3位に輝いており、今回はそれ以上の成績を狙いといところである。
■20世紀にアフリカに渡ったヘンリク・カスペルチャックとクロード・ルロワ
ここまでの3人は2000年代に入ってからアフリカに渡ったが、残りの2人はアフリカ生活も長い。
カスペルチャックは選手としてはポーランド代表として活躍したが、選手生活の最後の年をフランスで過ごし、引退後はフランスやフランス語圏で監督経験が豊富であり、フランス国籍も持つ。アフリカに渡ったのは1993年のことであり、コートジボワール監督となり、1994年のアフリカ選手権でチームを3位に導く。1996年大会ではチュニジアの監督として決勝進出、秋にチームを率いて訪日したことを日本の読者の方であればよくご存じであろう。しかし、その後はアフリカの監督として精彩を欠き、前回大会はグループリーグで敗退し、大会後解任され、チュニジアの監督に復帰する。代表監督としてキャリア最高の成績を残したチュニジアで再び上位進出を狙いたいところである。
最後に紹介するのが大御所ルロワである。1985年にカメルーンの監督となってから、セネガル、カメルーン、コンゴ民主共和国、ガーナ、コンゴ民主共和国、そしてコンゴ共和国とアフリカの代表監督を務めており、前回大会はコンゴ共和国をベスト8に導く。2016年4月に当時アフリカ選手権の予選で不振にあえいでいたトーゴの監督になり、何とか巻き返してグループAでチュニジアに次ぐ2位となる。予選2位のチームのうち最良の2チームが本大会出場できるが、まず勝ち点13のウガンダが出場権をつかみ、トーゴはエチオピア、ベナンと勝ち点11で並んだが、得失点の差で最後の椅子をつかんだのである。(続く)