第2541回 2019年アフリカ選手権(3) 旋風を起こしたマダガスカル
8年前の東日本大震災、3年前の平成28年熊本地震、昨年の平成30年7月豪雨などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■有力国が次々と姿を消した決勝トーナメント1回戦
本大会出場国が24に拡大された今大会、グループリーグでは順当に強豪チームが勝ち抜いたが、決勝トーナメント1回戦では開催国のエジプト、エジプト同様にグループリーグで3戦全勝だったモロッコもPK戦で姿を消す。また、強豪国同士の対戦も多く、前回優勝のカメルーン、ワールドカップ常連国のガーナ、マリも準々決勝に進むことができなかった。一方、初出場のマダガスカル、4回目の出場にして初めて決勝トーナメントに進出したベナンは快挙であろう。
■セネガル、チュニジア、ナイジェリア、アルジェリアが四強
結局、準々決勝の組み合わせはセネガル-ベナン、マダガスカル-チュニジア、コートジボワール-アルジェリア、ナイジェリア-南アフリカ、4試合中3試合がフランスから独立した国同士の戦いとなった。
セネガルは終盤に決勝点をあげ、1-0とベナンを下し、チュニジアは後半に3得点をあげてマダガスカルを退ける。驚きを与えた両チームはここでエジプトを去る。
ナイジェリア-南アフリカは前半にナイジェリアが先制、後半に南アフリカが追いつくが、試合終了間際にナイジェリアが決勝点を決めて2-1と勝利した。準々決勝で唯一延長にもつれ込んだのがアルジェリアとコートジボワールの試合である。アルジェリアが先行し、コートジボワールが追いつく。アルジェリアは今大会初失点となる。試合は、延長戦となるが、両チーム無得点でPK戦となる。先蹴のアルジェリアが4人目まで成功、コートジボワールは1人が失敗しており、アルジェリアは5人目が成功すれば、勝ち抜きであったが、この5人目が失敗する。そしてコートジボワールも5人目が失敗し、アルジェリアが準決勝に進出する。
■フランスから独立したマダガスカル
準々決勝敗退チームの中で最も注目を集めたのはマダガスカルであろう。マダガスカルは19世紀後半にフランスに占領され、1960年にフランスからマルガシュ共和国として独立した。独立後もフランスの影響を強く受けていたが、1972年にガブリエル・ラマナンスーがクーデターを起こし、脱フランス化するとともに、東側諸国に接近した。その後も軍出身者が大統領の座につき、大統領の暗殺や短命政権などが続き、1993年にアルベール・ザフィが大統領となり、この時期にマダガスカル共和国となり、現在に至っている。
しかし、フランスとのつながりは強い。クーデターを起こし、脱フランスを進めたガブリエル・ラマナンスーの甥はベルナール・ラマナンスーである。フランス経済界の重鎮にして教育界にも大きな力を持つベルナール・ラマナンスー、そしてベルナール・ラマナンスーの息子のマルク・ラマナンスーも明日のフランス経済界を担う若手経営者なのである。
■34歳でマダガスカル代表となったジェレミー・モレル
今回のマダガスカル代表チームも監督にニコラ・デュプイはフランス人であり、23人の選手のうち13人はフランスのクラブに所属している。フランスのクラブといっても下部リーグに所属しているクラブが中心である。1部リーグのチームに所属している選手はわずか2人、スタッド・ド・ランスのトマ・フォンテーヌとリヨンのジェレミー・モレルだけである。モレルに関してはリヨンの選手として本連載にもしばしば登場してきたが、ロリアン生まれでロリアンでプロ生活をはじめ、マルセイユを経てリヨンに所属する35歳のベテラン選手であるが、代表とは無縁の選手であった。ところが、昨年の10月にマダガスカル代表に加わることを発表する。モレルの父がマダガスカル出身であり、マダガスカル代表の条件を満たしたのである。11月のスーダンとの試合で34歳で代表にデビューしたモレルの経験値は、今回の決勝トーナメント進出にも貢献した。
なお、アフリカ選手権の後、モレルはレンヌに移籍し、レンヌでのデビュー戦は本連載第2533回で紹介したパリサンジェルマンとのチャンピオンズトロフィーであった。また、フォンテーヌもロリアンに移籍、アフリカでの経験がブルターニュで発揮されるであろう。(続く)