第2644回 追悼、ミッシェル・イダルゴ (2) 代表監督就任後に新人を大量に起用
平成23年の東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、昨年の台風15号、19号などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■代表チームのコーチから監督に昇格したミッシェル・イダルゴ
1960年代から1970年代にかけてワールドカップや欧州選手権の本大会に出場できなかったフランス代表、1975年の秋には戦後初の外国人監督のステファン・コバックが欧州選手権予選で敗退し、辞任する。その後任となったのがミッシェル・イダルゴである。
イダルゴはプロ選手として引退後、マントンでアマチュアの選手兼監督として1シーズンを過ごした。これが唯一の監督経験であったが、コバック監督時代にコーチとしてフランス代表に関わっており、内部昇格のような形でフランス代表監督に就任した。
■ミッシェル・プラティニなど6人が代表デビューしたイダルゴの初陣
イダルゴはこの低迷期に若手の選手を大量に代表に加えた。イダルゴの初采配となった1976年3月27日のチェコスロバキア戦、先発11人のうち、代表経験が2桁あったのはわずかに2人、主将のアンリ・ミッシェル(47試合目)とリベロのマリウス・トレゾール(26試合)の2人だけであった。残りは代表出場歴が5試合以下、さらに代表初出場が5人にも上った。この5人のうちの1人がミッシェル・プラティニである。さらにマキシム・ボッシもこの試合でデビュー、後半に交代出場してきたディディエ・シスも初めての青いユニフォームであった。国際大会の予選で敗退し続けた代表チームに対する期待の低さもあり、パルク・デ・プランスに集まった観衆はわずか9500人であった。
この試合では代表2試合目となるジェラール・ソレーが先制点、そしてプラティニが代表デビュー戦で初ゴールを決め、追加点をあげる。しかし、チェコスロバキアが終盤に2点をあげて2-2のドローとなった。
■2試合目のポーランド戦でも3人が代表デビュー、初勝利を飾る
イダルゴの指揮する2試合目は翌月の親善試合のポーランド戦、ランス(Lens)で行われた試合でも3人を代表デビューさせる。経験のあるミッシェルとトレゾールを外し、ゲームメーカーもプラティニではなくジャン・ミッシェル・ラルケを起用し主将を任せる。代表経験が2桁の選手はこの試合でもわずか3人、2試合目も大幅に若手を起用し、前後半に1点ずつ得点をあげて2試合目にして初勝利をあげる。5月と9月にアウエーで親善試合を行い、ハンガリーには敗れ、デンマークとは引き分ける。
■ワールドカップ初戦で先制点をあげたプラティニ
就任以来1勝2分1敗という成績で1978年ワールドカップアルゼンチン大会の欧州予選が1976年10月から始まった。フランス、ブルガリア、アイルランド、アルバニアがグループ5に入ったが、アルバニアが棄権し、3チームの中で首位のチームがアルゼンチン行きの切符をつかむことができる。
フランスの初戦はアウエーのブルガリア戦、代表経験が2桁あるのはこの試合でも2人だけ、29試合目の主将のトレゾールとGKで16試合目のドミニク・バラテリのみである。ゲームメーカーはプラティニ、2トップはシスとベルナール・ラコンブである。フランスは前半のうちにプラティニが先制点、ラコンブが追加点をあげるが、前半終了間際にブルガリアもエースのフリスト・ボネフが1点を返す。ブルガリアは後半に入って68分にパネフが同点ゴールを決める。試合はドローかと思われたが、88分にフランスはペナルティエリア内でファウルを犯し、ブルガリアにPKが与えられる。キッカーはボネフ、絶体絶命のピンチであったが、ボネフがこのPKを失敗し、フランスはアウエーで引き分けに持ち込んだのである。
■満員のパルク・デ・プランスで躍動した若きフランス代表
第2戦は1月後の11月17日、アイルランドをパルク・デ・プランスに迎える。この試合も代表歴が2桁の選手はトレゾールとバラテリのみ、先発にはまた初代表が1人、レイモン・ケルゾレがデビューする。それ以外の代表歴が1桁の選手にはプラティニ、ラコンブ、シス、ドミニク・ロシュトー、ドミニク・バテネイ、ジェラール・ジャンビオン、ボッシ、クリスチャン・ロペスと1970年代から1980年代のフランスサッカーを支える新星が並んだ。
満員の43,437人の見守る中、フランスは後半立ち上がりにプラティニが先制、終了間際にバテネイが追加点をあげ、2-0と勝利したのである。ワールドカップ予選では1972年10月13日のソ連戦以来5年ぶりの勝利となったのである。(続く)