第2645回 追悼、ミッシェル・イダルゴ (3) 続々と新人を起用、世界チャンピオン西ドイツに勝利
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■ステファン・コバチ率いるルーマニアと対戦
1978年のワールドカップアルゼンチン大会に向け、欧州予選グループ5は1976年秋に始まった。アルバニアの棄権により、フランス、ブルガリア、アイルランドの3チームの争いとなる。前回の本連載で紹介した通り、フランスはブルガリアとアウエーで引き分け、ホームでアイルランドに勝利する。
年が明けた1977年3月30日、フランスはダブリンでアイルランドと戦う。この試合に向けてフランスは2月に親善試合を2つ組む。
まず2月2日のボルドーでのルーマニア戦である。ルーマニア代表の監督はフランスの前代表監督のステファン・コバチであり、当時のコーチのミッシェル・イダルゴとの対決となった。
■代表未認定試合となり新人を大量にテストしたルーマニア戦
この試合はチャンピオンズカップと日程が重なったサンテチエンヌのメンバーが外れたため、フランスはフランス選抜という扱いで正式な代表試合と認められなかったが、ミッシェル・プラティニ、アンリ・ミッシェルなどが名を連ねる。また、本来は主将を務めるマリウス・トレゾールが負傷して離脱したため、サンテチエンヌのクリスチャン・ロペスがリベロの位置に入り、主将を務める。この代表未認定試合で初めて代表レベルの試合に出場したのが後に代表チームの守備の要となるパトリック・バティストンであり、29歳のGKのアンドレ・レイである。ミッシェル・イダルゴ監督はこの試合が代表未認定試合となったことから、意欲的なテストを行った。
前半と後半でミッシェルなどのキープレーヤーのポジションを変えるとともに、後半からはコバチ監督時代の1974年のポーランド戦で代表にデビューして以来、代表の試合に出場していなかったアラン・ジレスがゲームメーカーとしてピッチに入る。ジレスのクロスをプラティニが決めてフランスが先制、オリビエ・ルイエが追加点をあげて2-0と勝利する。
■世界チャンピオンの西ドイツ相手に若手チームで19年ぶりに勝利
続く2月23日にはパルク・デ・プランスで、1972年のワールドカップで優勝し、前年の欧州選手権で準優勝した西ドイツと対戦する。フランツ・ベッケンバウアー、ベルティ・フォクツなど世界チャンピオンが名を連ねる西ドイツを迎えるフランスはトレゾールが負傷離脱中ということもあるが、全員が代表出場歴が1桁という若いチームとなった。代表歴が最も多いのが8試合目のベルナール・ラコンブ、それに続くのが6試合目のプラティニとジェラール・ジャンビオンである。また、代表扱いされなかったルーマニア戦に出場した選手を含め、先発に3人、途中出場で2人、合計でこの試合で5人が代表にデビューした。世界チャンピオンと2大会連続でワールドカップを逃してきた若手主体のチームの戦いとなったが、フランスは52分のルイエのゴールで1-0と勝利する。フランスが西ドイツに勝利したのは1958年のワールドカップスウェーデン大会の3位決定戦、ジュスト・フォンテーヌが3得点をあげて6-3と勝利して以来19年ぶりのことである。さらにフランス国内での勝利は、第二次世界大戦後、ドイツが東西に分裂して初めて対戦した1952年以来2回目となった。
■アウエーでアイルランドに惜敗
このように若手を多数起用して連勝で迎えたアウエーのアイルランド戦、ダブリンのランズダウンロード競技場でラ・マルセイエーズを歌ったイレブンも全員代表経験が1桁であった。トレゾールは復帰できず、その位置に入ったロペスが主将を務める。西ドイツ戦で代表にデビューした5人のうち、アイルランド戦に出場したのは29歳のGKのレイだけであった。188センチと長身のレイはこの年から翌年にかけて代表のGKとしてほぼ全試合に出場するが、ワールドカップ本大会の直前に負傷してメンバーから外れる。
4万5000人の大観衆を敵に回してフランスは戦ったが、11分にアイルランドはウィリアム・ブラディのゴールで先制、これを守り切ってアイルランドが1-0と勝利する。レイはワールドカップ後にフランス代表にカムバックし、合計で10試合に出場するが、唯一の敗戦がこのアイルランド戦だったのである。(続く)