第2648回 追悼、ミッシェル・イダルゴ (6) ワールドカップ予選突破し、トンネルを脱出

 平成23年の東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、昨年の台風15号、19号などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■強豪ソ連とスコアレスドロー

 6月の南米遠征でアルゼンチン、ブラジルとドロー、新シーズンも始まり、10月の親善試合を経て、11月の予選最終戦にフランスは臨む。10月8日にパルク・デ・プランスで行われた親善試合の相手はソ連である。アイルランドとブルガリアのダブリンでの試合はこの4日後に行われるが、フランスは予選最終戦のブルガリア戦を意識して東欧勢のソ連を対戦相手に選んでいる。当時のソ連はワールドカップでは振るわないものの、欧州選手権では好成績を残す強豪であった。この翌年にソ連は日本を訪問し、日本代表と試合を重ね、連戦連勝したことから、日本の読者の皆様も当時のソ連の強さはよくご理解であろう。

■ブルガリアとの直接対決に臨む代表試合の経験を積み重ねた若手選手たち

 この最終テスト、南米遠征に続いてマリウス・トレゾールが主将を務めるが、ようやく代表出場歴二桁の選手が他に現れ始めた。ミッシェル・プラティニが11試合目、ジェラール・ジャンビオンとディディエ・シスが10試合目である。また、のちにモナコの名コーチとなるジャン・プチがこの試合で代表にデビューしている。試合はスコアレスドローとなる。そして、この4日後、ブルガリアがアイルランドと引き分け、フランスは最終戦で勝利した場合のみ、ワールドカップ出場となるのである。
 11月16日、パルク・デ・プランスは44,860人の観衆で満員となる。この試合はついに代表二桁の選手が7人と過半数となった。主将のトレゾール、DFのジャンビオン、パトリス・リオ、中盤のジャン・マルク・ギルー、トップ下のプラティニ、FWのディディエ・シス、ベルナール・ラコンブである。そしてもっとも代表歴の少ない選手がGKのアンドレ・レイ、6試合目の出場となる。また、ベンチにはベテランのアンリ・ミッシェルやクリスチャン・ロペスも控える。
 サンジェルマン・アン・レイで前泊したが、ミッシェル・イダルゴ監督は前日寝付けなかったという。この年はフランスがラグビーの5か国対抗で全勝優勝(グランドスラム)を達成しており、当時のジャック・フールー監督とも親交のあったイダルゴも勝たなくてはならない試合であり、極度の緊張下でのキックオフとなった。

■ドミニク・ロシュトー、ミッシェル・プラティニ、クリスチャン・ダルジェのゴールで予選突破

 試合はフランスが立ち上がりから圧倒する。38分にはシスのCKをトレゾールがヘングでつないで、ファーポストにいたロシュトーが至近距離からシュート、フランスが1点リードして折り返す。
 後半に入って63分、左サイドのシスからのパスを受けたプラティニはゴールまで20メートルの距離があったが、いきなりシュート、これが決まって追加点となる。このゴールはプラティニの代表での41ゴールのうち、最も美しいと語り継がれている。しかし、85分、ブルガリアは1点を返す。残り5分でブルガリアが1点をあげればアルゼンチン行きのチケットはブルガリアのものになる。
 このスリリングな展開に終止符を打ったのは途中交代出場してきたクリスチャン・ダルジェであった。ロシュトーに代わって入ったダルジェは10月のソ連戦で3年半ぶりに代表に復帰した26歳の選手であった。ダルジェは89分にラコンブの左からのクロスに合わせてシュート、これが決まって2点差となる。
 パルク・デ・プランスは「アルゼンチン、アルゼンチン」の大合唱となる。フランスは大一番でブルガリアを破り、勝ち点でブルガリアを逆転しグループ5で首位となり予選を突破した。

■トンネル脱出に貢献したミッシェル・イダルゴ監督の初選出した選手たち

 フランスのワールドカップ本大会出場は3大会ぶりであり、長いトンネルを脱した。そしてこの試合はイダルゴ監督が就任して14試合目(フランス選抜扱いとなったルーマニア戦を含む)、戦績は6勝6分2敗となった。特筆すべきはイダルゴ監督が就任初戦で代表にデビューさせた6人のうち4人がブルガリア戦に出場していることである。プラティニはこの試合が代表12試合目、シスは11試合目、リオは10試合目、マキシム・ボッシは7試合目とチームの屋台骨となり、トンネルから抜けたチームを頂点へ導く原動力となったのである。(続く)

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