第2649回 追悼、ミッシェル・イダルゴ (7) 22人のワールドカップメンバー

 平成23年の東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、昨年の台風15号、19号などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■イタリア、アルゼンチンに連敗して最初に敗退が決まったフランス

 予選最終戦でブルガリアに勝利して3大会ぶりの本大会出場を決めたワールドカップアルゼンチン大会、日本では初めて多くの試合が中継されたことから印象に残っている方も多いであろう。
 この大会はマリオ・ケンペスのアルゼンチンが、ヨハン・クライフのいないオランダを決勝で破り、初優勝を成し遂げ、地元チームの快進撃を祝うスタジアムの紙吹雪は後の世界のサッカーファンの行動を変容させた。そして、12年ぶりの本大会出場となったフランスであるが、グループAでイタリア、アルゼンチン、ハンガリーと対戦する。この戦いについては本連載でも紹介したことがあるが、イタリア、アルゼンチンに対しいずれも1-2で敗れ、一次グループリーグ敗退が決定する。最終戦はともに連敗して最も早くアルゼンチンを去ることが決定したフランスとハンガリーが対戦、この試合でフランスはユニフォームの色を間違って準備し、試合のキックオフが遅れるという事件を起こしながら、遅すぎた初勝利をあげている。
 この大会のフランスについては、本連載も含め、アルゼンチン、イタリアという強豪チーム相手に力及ばず、ハンガリーには勝利はしたがユニフォームを間違えるという失態を起こした若いチーム、という評価が一般的であろう。

■30歳以上は3人、代表出場歴20試合以上は2人という若いメンバー

 今回からはミッシェル・イダルゴという代表監督の観点からこのアルゼンチンでの戦いを振り返ってみよう。
 まず、選出された22人のメンバーである。30歳以上の選手はMFのジャン・マルク・ギルー(32歳)、GKのドミニク・バラテリとMFのアンリ・ミッシェル(いずれも30歳)の3人だけ、全員がワールドカップ初出場という若いチームとなった。最年少は21歳のパトリック・バチストン、マキシム・ボッシ、ミッシェル・プラティニ、オリビエ・ルイエが22歳、ドミニク・ロシュトー、ディディエ・シスは23歳、後にフランスの黄金期を支えるメンバーが20代前半でそろった。また、キャリアという点では代表歴が20試合を超える選手は主将のマリウス・トレゾールとミッシェルの2人だけとなった。

■ワールドカップ本大会までに経験を積んだ若い選手たち

 ブルガリアとの予選最終戦の後、ワールドカップ本大会までフランスは親善試合を5試合重ねる。4勝1分という成績であり、その中にはブラジル戦の勝利もある。若いメンバーはキャリアを積み、イダルゴ監督就任の初戦で代表にデビューしたミッシェル・プラティニ、ディディエ・シス、パトリス・リオの3人はいずれも15試合、マキシム・ボッシは11試合のキャリアを重ねてワールドカップに臨む。
 また、代表歴のない選手でワールドカップメンバー入りしたのがGKのドミニク・ドロプシーである。ドロプシーはストラスブールの選手であるが、アンドレ・レイの控え選手として育ってきた。レイがメッスに移籍し、ドロプシーがストラスブールの正GKとなり、さらにレイがワールドカップ1月前にこぶしを負傷したため、代表から外れ、第3GKとしてメンバー入りした。レイと同様に代表メンバーから外れたのが本連載第2646回で紹介したオマール・サヌーンである。

■予選突破後に代表に復帰し、定着したアンリ・ミッシェル

 このようなメンバー構成となったが、注目すべきは経験値の多い2人のベテラン、トレゾールとミッシェルはイダルゴ監督の就任初戦にも経験値のある選手として出場していることである。ミッシェルについてはワールドカップ予選には1試合も出場しなかったが、予選突破後の親善試合には5試合中4試合に出場している。プラティニと同じ中盤の選手であったが、イダルゴ監督は2人を選出した。なお、この2人はいずれも背番号10のイメージが強いが、このアルゼンチンワールドカップではミッシェルが11番、プラティニが15番をつけている。10番をつけたのはチーム最年長のギルーであった。ギルーはワールドカップ初戦のイタリア戦に先発出場したが、これが最後の代表の試合となったのである。(続く)

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