第2654回 追悼、ミッシェル・イダルゴ (12) アウエーで2敗、4位に後退し終盤戦
平成23年の東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、昨年の台風15号、19号などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■消化試合数の少ないオランダ-フランス戦はオランダが勝利
本大会出場チームが24チームとなったワールドカップスペイン大会、欧州では予選グループで2位となったチームへもピレネー越えのチケットが与えられる。フランスの入ったグループ2は前半戦を終了した時点で試合数にばらつきがあり、4試合消化のベルギーが3勝1分(勝ち点7)、5試合消化のアイルランドが3勝1分1敗(7)、2試合消化のフランスが2勝(4)、3試合消化のオランダが1勝2敗(2)、6試合連敗のキプロス(0)となる。
後半戦最初の試合が1981年3月25日に2試合行われ、オランダ-フランスという試合消化の少ないチーム同士、ベルギー-アイルランドという試合消化数の多いチーム同士の戦いとなった。ロッテルダムで行われたオランダ戦、フランスはミッシェル・プラティニ、マリウス・トレゾール、ジャン・ティガナを負傷で欠くという苦しい状況、中盤を支えたのはアラン・ジレスであった。試合は後半の立ち上がりにオランダに1点を奪われ、敗れたが、ジレスの成長は目覚ましく、ミッシェル・イダルゴ監督はプラティニ、ジレス、ティガナという中盤の構想を思いつく。
■首位ベルギーをパルク・デ・プランスに迎え勝利
同日に行われたもう1試合はベルギーが勝利、首位固めをする。フランスは勝ち点差が5に開いたベルギーを4月29日にパルク・デ・プランスに迎える。この試合もフランスはプラティニ抜きで戦わなくてはならず、中盤はジレス、ティガナ、ジェラール・ソレー、ベルナール・ジャンニーニという代表一桁の選手ばかりとなった。この中で特筆すべきはソレー、実はイダルゴ監督の就任初戦には2年ぶりに代表復帰し、1点目をあげている。しかし、その2年後に1試合出場しただけで、このベルギー戦には3年ぶりに復帰している。すなわち7年前に代表にデビューしてから2年か3年おきに1試合ずつ出場し、このベルギー戦が代表4試合目なのである。この試合でフランスはベルギーに先制されたものの、ソレーが2ゴールをあげ、逆転する。ディディエ・シスの追加点もあり、フランスが首位ベルギーを3-2と下す。この試合のヒーローとなったソレーはその後代表に定着する。また、1984年にはトゥールーズの一員としてベルナール・ラコンブらとともに訪日し、日本代表と対戦していることから日本の皆様もよくご存じであろう。
■最多の4試合を残して秋の陣に臨むフランス
ワールドカップ予選は秋の陣を迎えることとなる。9月から12月にかけて行われるが、勝ち点順に並べると、首位は勝ち点9のベルギー、続いて勝ち点7でアイルランド、勝ち点6でフランスとオランダ、勝ち点0でキプロスとなっている。しかし、上位のベルギーとアイルランドは残り試合が2試合しかなく、オランダは3試合、そしてフランスは4試合である。しかもフランスは最終戦に勝ち点0のキプロスとのホームゲームが残っている。
■奇策も通じず、ブリュッセルでベルギーに敗れ、4位に後退
秋の陣の初戦は9月9日、ロッテルダムでオランダ-アイルランド戦、ブリュッセルでベルギー-フランス戦が行われた。当時のフランス代表は6月にドイツのクラブチームと親善試合を行い、この年はシュツットガルトと対戦、しかし、内容が悪く、パルク・デ・プランスの観客からブーイングを浴びた。特にブーイングの中心はエースのプラティニ、ちょうど国外移籍がささやかれていたことだった。
しかし、イダルゴ監督は奇手を打つ。ベルギー戦の主将をプラティニに任せるとともに、初めてCFとして起用したのである。さらに新人を2人抜擢し、GKに控えのピエリック・イアール、ストッパーにフィリップ・マウを先発させる。しかしながら、ベルギーに前後半に1点ずつ入れられて、0-2と敗れる。イアールはバスティアに所属し、フランスカップ決勝でプラティニを擁するサンテチエンヌを破って優勝するというクラブでの実績を買ったが、結局この試合が最初で最後の代表での出場となった。
同日に行われたアイルランド-オランダ戦はドローとなり、フランスは4位に後退し、残り3試合を戦うのである。(続く)