第2657回 追悼、ミッシェル・イダルゴ (15) 経験を積んだ選手がスペインで活躍

 平成23年の東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、昨年の台風15号、19号などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■欧州で最後に本大会出場の切符をつかんだフランス

 1981年12月5日、フランスはキプロスを破り、グループ2で2位となり、2大会連続のワールドカップ出場を決めた。フランスの最終成績は5勝3敗、勝ち点でアイルランドと並んだが、キプロス戦での大量得点(2試合あわせて11点)がものを言った。またキプロスには連勝しているが、それ以外のチームにはホームで勝利、アウエーで敗戦、すなわちキプロス以外からはアウエーで勝ち点を奪っていない。また、フランスは欧州では最後に出場を決めたが、実は開催国スペインを除くと欧州で出場決定第一号はフランスと同じグループ2のベルギーであった。終盤にフランスの試合が集中するという変則日程のなせる業である。

■62年ぶりにイタリアに勝利した試合でデビューしたマニュエル・アモロスとダニエル・ブラボー

 予選突破してから本大会までの期間、フランスは親善試合を5試合行った。前回のアルゼンチンと異なり、スペインは隣接国であり、多数のファンが応援に来ると考えられる。そのファンに対し勝利を見せたいところである。親善試合の初戦、2月23日のイタリア戦、フランスは2-0で勝利し、イタリアに対し実に62年ぶりの勝利をあげる。この試合でミッシェル・イダルゴ監督は新人を2人起用する。1人は先発した20歳のマニュエル・アモロス、もう1人は途中出場の19歳のダニエル・ブラボーである。
 ブラボーはこの試合で得点をあげ、代表における最年少得点記録となる。しかし、ブラボーはワールドカップメンバーには選ばれなかった。
 一方のアモロスは親善試合5試合のうち4試合で先発フル出場、ワールドカップメンバーにもなり、1980年代末から1990年代にかけてはフランスの主将として活躍することとなる。結局、この5つの親善試合に起用した新人はアモロスとブラボーの2人だけであり、予選でイダルゴ監督は自信を深めたといえるであろう。実際に冬の合宿に参加した選手でアルゼンチン行きを逃したのは2人だけであった。

■アルゼンチンでは若手だった選手が中堅に成長

 スペインワールドカップに出場するメンバーの構成は4年前とは変わった。アルゼンチン大会のメンバーについては本連載第2649回で紹介したとおりであるが、22人のメンバーのうち30歳以上は2人(アルゼンチン大会時は3人)とそう変わらない。また最年少選手はアルゼンチンでは21歳のパトリック・バティストンであったが、スペインには20歳のアモロスとブルーノ・ベローヌが赴く。20歳の選手が2人いるが、24歳以下の選手は8人から4人になった。これはメンバーが経験値を積んだことを意味している。代表出場歴が20試合以上の選手は4年前はマリウス・トレゾールとアンリ・ミッシェルの2人だけであったが、9人に増えた。2大会連続出場となるのはGKはドミニク・バラテリ、DFはバティストン、マキシム・ボッシ、ジェラール・ジャンビオン、クリスチャン・ロペス、マリウス・トレゾール、MFはミッシェル・プラティニ、FWはベルナール・ラコンブ、ディディエ・シス、ドミニク・ロシュトーの10人であり、この中でバティストン以外は代表出場歴が20試合を超えているのである。すなわち、アルゼンチン大会当時に若手だった選手が中堅となり、チームの屋台柱ができたのである。

■背番号10のミッシェル・プラティニ中心のチームが大活躍

 そしてこのチームの中心はプラティニであった。この時のチームの背番号は1番と最後の21番と22番がGK、2番から8番がDF、9番から14番をMF、15番から20番をFWに割り当てた。そしてそのポジション内でアルファベット順に背番号を付けていったのである。GKの場合、1番がバラテリ、21番がジャン・カスタネダ、22番がジャン・リュック・エトリという具合である。DFに関しては前回とは若干番号が代わっている。ところがMFだけは10番をプラティニに割り当て、それ以外の選手に9番から14番をつけていったのである。
 この大会、フランスは初戦でイングランドに敗れたが、一次リーグを2位で通過、二次リーグを首位で突破し、準決勝は西ドイツと死闘の末、PK負け、3位決定戦でもポーランドに敗れたが、世界にその存在を知らしめたのである。また、アモロスは最優秀若手選手に選出されたのである。(続く)

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