第2971回 緊急特集 ウクライナに平和を(2) 悲運の愛の映画「ひまわり」とサッカー
平成23年の東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、台風15号、19号、令和2年7月豪雨などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■1978年に衝撃を与えたソ連代表
2月24日のロシアのウクライナ侵攻開始から10日以上経過するが、日に日に犠牲者が増え、多くのウクライナ市民がポーランドなど他国へ逃亡していることに心が痛む。
東西冷戦時からソ連をはじめとする東欧諸国とのサッカー交流が伝統的に多かった日本であるが、ウクライナという代表チームは30年ほどの歴史しかなく、ウクライナとの対戦も少ないことからなじみが薄いかもしれない。しかし、1978年にソ連代表との対戦は今でも鮮明に記憶されていらっしゃる方が多いであろう。欧州からの代表チームがアジア大会を控えた日本代表と対戦することから、ファンの関心は高く、3試合で2万人以上の観客動員を記録した。国立競技場で行われた第1戦は和製クライフ藤口光紀が先制ゴールを決めたが、その後ソ連は4点を奪って4-1と逆転勝ち、続く第2戦も同スコア、最終戦もソ連が3-0と3連勝している。
■ウクライナ人のオレグ・ブロヒンとウラジミール・ベスソノフ
このソ連チームの中心がオレグ・ブロヒンであった。1975年の欧州最優秀選手、それまでにも欧州最優秀選手が訪日したことはあったが、いずれもクラブチームの一員としての訪日であり、初めて欧州最優秀選手が代表チームのメンバーとして訪日したことから、観客動員につながったのであろう。ブロヒンは直前に右ひざを負傷し、第2戦に途中出場するにとどまったが、ブロヒンはディナモ・キエフ所属、現在の国籍でいうとウクライナ人となり、その後ウクライナ代表の監督に就任している。そしてブロヒンに代わって3連勝の原動力となったのがウラジミール・ベスソノフである。当時20歳であったが、前年にチュニジアで開催された第1回ワールドユース(現在の20歳以下のワールドカップ)でソ連を優勝に導き、最優秀選手に選出された。ベスソノフもディナモ・キエフ所属であり、ウクライナ人である。このように日本のファンに衝撃を与えたソ連代表を支えていたのはロシアではなくウクライナだったのである。
■巨大なサッカー場に出向いたヒロインのジョバンニ
そして今、世界中でウクライナ国旗が打ち振られている。ウクライナ国旗は空の青と小麦畑の黄色を象徴していると言われているが、黄色はウクライナの国花のひまわりの色でもある。1970年に公開されたイタリア映画「ひまわり」はジョバンニ(ソフィア・ローレン)がソ連戦線で行方不明となったアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)をウクライナのひまわり畑で探すシーンが印象的であるが、この映画には、東西冷戦下における東西の数少ない交流の象徴としてサッカーが登場する。
ミラノ在住のジョバンニはアントニオを探そうとまずはイタリア国内で奔走するが、埒があかない。サッカーを観戦するためにソ連に行った人から、ソ連戦線の生き残りがソ連で生活しているという情報を得て、ソ連を訪れる。ソ連では巨大なサッカー場にも出向き、熱狂する満員の観衆の中でアントニオの姿を探す。映画の中で「スターリンが亡くなったからソ連に行こう」というセリフがあるので、1950年代のことかもしれないが、ソ連のチームが西側と交流を始めるのは1960年代になってからである。
■ソ連勢として初出場したトルペド・モスクワを下したインテル・ミラノ
イタリアとソ連の初めての代表の試合は1964年欧州選手権、当時はホームアンドアウエーのトーナメント方式で開催され、モスクワで1963年10月13日、ローマで11月10日に対戦、ソ連が1勝1分で勝ち抜いている。
チャンピオンズリーグの前身であるチャンピオンズカップにソ連勢が初めて参戦したのは12回目となる1966-67シーズンである。ソ連から出場したのはトルペド・モスクワであった。トルペド・モスクワは1回戦でイタリアのインテル・ミラノと対戦する。ミラノでの初戦は1-0でインテル・ミラノが勝利、モスクワでの第2戦はスコアレスドローでインテル・ミラノが2回戦に進出する。ジョバンナが住み、最後にアントニオが訪れた都市を代表するグランデ・インテルと言われたチームは決勝まで勝ち進み、スコットランドのセルチック・グラスゴーに敗れている。1970年公開の映画であるから、おそらくはこの試合がモデルとなっているのであろう。
その翌季のソ連代表はディナモ・キエフ、1回戦でセルチック・グラスゴーに勝利する。ウクライナのチームがディフェンディングチャンピオンを破ったのである。
「ひまわり」は第二次世界大戦が引き起こした悲運の愛の物語である。悲劇は映画の中だけでいい。第三次世界大戦はあってはならない。ウクライナの平和を切に願う。(この項、終わり)