第3410回 3回目のパリオリンピック(2) オリンピックチームの監督に就任したティエリー・アンリ

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■パリオリンピックの欧州代表はスペイン、イスラエル、ウクライナ

 パリオリンピックの予選を兼ねた2023年の21歳以下の欧州選手権、開催国として出場権を確保しているフランスであるが、準々決勝でウクライナに敗れてしまう。結局、優勝したのはイングランド、準優勝がスペイン、その他のベスト4がイスラエルとウクライナとなった。欧州からのパリオリンピック出場枠は3、イングランドには出場資格がないため、スペイン、イスラエル、ウクライナの3か国が出場権を得た。イスラエル、ウクライナという戦火の国が平和の祭典に出場するわけであるが、本大会が始まっても休戦の動きがないところが残念である。

■フランスでは開催国優勝がないオリンピック

 そしてシルバン・リポル監督にとって3回目の21歳以下の欧州選手権であったが、前回に続いて準々決勝で敗退、翌年に控えるオリンピックへの不安を感じさせる。これまでフランスはワールドカップは2回開催(1934年、1998年)、欧州選手権は3回開催(1958年、1984年、2016年)しており、ワールドカップは1998年大会、欧州選手権は1984年大会で開催国優勝を果たしている。またこれらに準ずる大会であるコンフェデレーションズカップも2003年大会で優勝している。
 オリンピックに関しては、フランスはパリでしか開催したことがないが、1900年大会のサッカー競技はフランス代表のクラブ・フランセはベルギー代表のブリュッセル大学に勝利したが、英国代表のアップトンに敗れ、銀メダルとなった。22か国の代表チームが出場した1924年大会では1回戦はラトビアに勝利したが、準々決勝で優勝したウルグアイに1-5と大敗している。この時期はフランスでは国内リーグは始まっておらず、プロとアマチュアという概念もあいまいであった。オリンピックで好成績を残したチームの中にサッカーで金銭を受け取っていた疑惑もあり、プロもアマチュアも関係なく出場できる大会で世界一を決めよう、ということで1930年にワールドカップが始まっている。すなわち、パリでのこれまで2回の開催はワールドカップの始まる前のことであり、参考にはならないが、ワールドカップや欧州選手権で達成した開催国優勝をオリンピックでは成し遂げていないことは事実である。

■フランスの国民的英雄であるティエリー・アンリ

 オリンピック開催まで1年を切った2023年7月末、リポルは監督の座を追われる。そしてオリンピックに向けた代表監督に就任したのはティエリー・アンリであった。フランス代表として、アーセナル(イングランド)のFWとして活躍したアンリは、パリ郊外の移民の多い地域で生まれ育つ。1998年のワールドカップでは決勝以外の6試合に出場、その大会の優勝メンバーとして最後までフランス代表に残っていたのがアンリである。代表として積み上げたゴールは51、2022年にオリビエ・ジルーに抜かれるまでフランス代表として最多記録であった。2010年にフランス代表を引退、そして選手としても2014年に引退した。

■ベルギー代表のアシスタントコーチとして2018年ワールドカップで評価を高める

 現役引退後は、解説者として人気を博したが、2016年にベルギー代表のアシスタントコーチとなる。2018年のワールドカップまでアシスタントコーチを務め、日本の読者の皆様であれば、ロシアワールドカップの決勝トーナメント1回戦で日本に逆転勝ちしたベルギーのベンチに座っていたアンリの姿をご記憶であろう。この活躍が評価され、同年10月には低迷していた古巣のモナコの監督に就任する。しかし、アンリを招いても状況は変わらず、アンリは2019年1月に解任されてしまう。その後はカナダのモントリオール・インパクトの監督を務めるが、ここでも成績は振るわず、1年強での解任となった。
 クラブ監督の失敗が2回続いたが、それでもアンリに声をかけたのがベルギー代表であった。再びロベルト・マルティネス監督のアシスタントコーチとなり、2022年のワールドカップに臨む。第1シードとして期待されたが、グループリーグ敗退。第1シードでグループリーグ敗退は初出場の開催国カタールとベルギーだけであった。アンリはマルティネス監督とともに野に下った。そして国民的英雄としてオリンピックチームの監督に就任したのである。(続く)

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