第3415回 3回目のパリオリンピック(7) ギニア、ニュージーランドも下し、3戦全勝で決勝トーナメントへ

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■クレールフォンテーヌでのプレーオフで勝利して本大会に出場したギニア

 今大会の参加国中最多出場を誇る米国をオーバーエイジの選手の活躍で3-0と勝利したフランス、第2戦はニースに舞台を移してギニアと対戦する。
 ギニアはアフリカ予選で4位となったため、アジア予選4位のインドネシアと大陸間プレーオフを戦った。プレーオフは中立地で1回戦制、クレールフォンテーヌのメインスタジアムであるピエール・ピバロ競技場で5月9日に行われた。ギニアはスペインのアンダーエイジの代表としても活躍したイライクス・モリバが前半にPKを決め、試合終盤のPKは失敗したものの、1-0と勝利して1968年のメキシコ大会以来2回目の出場を果たした。1968年大会の初出場の際、ギニアの初戦の相手はフランスであり、1-3と敗れており、56年ぶりの雪辱を狙う。
 16番目の代表となったギニアはグループリーグ初戦はオセアニア代表のニュージーランドと対戦し、1-2と敗れている。

■2度のオフサイドの判定に救われたフランス、終盤の得点で勝利

 第2戦は第1戦から中2日の7月27日に行われ、フランスはギニアとニースで対戦する。フランスのティエリー・アンリ監督は第1戦とは1人だけメンバーを変更し、MFのエンゾ・ミロに代えてマグリス・アクリウシュを起用する。フランス生まれで、ギニアのフル代表の監督も務めるカバ・ディアワラ監督は第1戦と同じメンバーを先発させる。先発11人のうち5人がフランスのクラブに所属している。初戦を落として後のないギニアは序盤から積極的に攻める。フランスのエンジンがかかったのは20分過ぎからとなる。34分にはジャン・フィリップ・マテタがギニアのGKのスーマイラ・シアと1対1になるが、ここはシアが勇敢なプレーでギニアを救う。一方のギニア、43分にはナビ・ケイタがゴールネットを揺らしたかに見えたが、VARの結果、オフサイドの判定。前半アディショナルタイムの48分にギニアは今度はアブドウライエ・トゥーレのシュートが決まるが。またもオフサイドとなり、フランスは2回救われてハーフタイムを迎えた。
 ギニアに押し込まれてハーフタイムを迎えたフランス、第1戦で活躍したオーバーエイジの3人も精彩を欠く。58分にはマテタをベンチに下げて、アルノー・カリムエンドを投入する。73分にはカリムエンドがポスト直撃のシュート、待望の先制点は76分、右サイドのミカエル・オリーズのクロスをキリアン・シルディリアがヘディングでたたきつける。フランスは連勝して最終戦を迎えることになった。

■メンバーを大きく変え、黒いユニフォームのニュージーランドと対戦

 最終戦は再びマルセイユに戻り、ニュージーランド戦である。ニュージーランドは第2戦で米国に敗れており、フランスに勝利すれば、2勝1敗で並ぶ。ベロドロームでのニュージーランド戦、本連載の読者の方であれば、2000年11月のベロドロームでの初めてのラグビーの代表戦でオールブラックスを下した試合を思い出されるであろう。この日ばかりは、マルセイユはサッカーの都ではなくラグビーの都となった。
 2024年7月30日、白いユニフォームを着用したフランスは、黒いユニフォームのニュージーランドと対戦したが、マルセイユはサッカーの都であった。引き分け以上で首位突破の決まるフランスはメンバーを大きく変えた、GKはオベド・エンカンバディオDFは3バックに変更し、右からスングトゥ・マガッサ、クリスラン・マツィマ、ルクバ、MFはデジレ・ドゥエ、アンディ・ディウフ、ジョアン・ルプナン、ブラッドリー・ロッコ、FWはジャン・フィリップ・マテタ、アルノー・カリムエンドの下にラヤン・シェルキ、オーバーエイジは主将を務めたマテタのみであった。

■主将を務めたジャン・フィリップ・マテタが先制点

 そのマテタが19分に先制点を決める。後半に入っても71分にドゥエがドリブルでゴール前の2人のニュージーランドの守備陣を抜きさって、追加点をあげ、さらに74分にはカリムエンドのゴールでフランスは3-0,3戦全勝で決勝トーナメントに進出する。
 グループリーグで無失点はフランスと日本だけ、フランスも日本も7得点をあげているが、これがすべて違う7選手の得点というところがフランスの強みである。(続く)

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