第137回 2002年デビスカップ・ファイナル(3) ポール・アンリ・マシュー、苦いデビスカップデビュー

■20歳のポール・アンリ・マシューを起用

 3日間にわたりシングルス4試合、ダブルス1試合を戦うデビスカップは選手の起用がその結果を大きく左右する。ロシアはエフゲニー・カフェルニコフ、マラト・サフィンが軸となり、シングルスもダブルスもこの2人の世界ランキング1位経験者に託す。一方のフランス、シングルスのナンバーワンはセバスチャン・グロジャンだが、シングルスのナンバーツーとして予定していたアルノー・クレマンが手首を負傷し、クレマンは昨年同様決勝戦直前で無念のリタイアとなった。また、ダブルスもファブリス・サントロが中心となるが、決定的なパートナーが定まらない。
 1991年のデビスカップ優勝メンバーであり、現在キャプテン(他の競技では監督に相当し、英語でもフランス語でもキャプテンと表現する)であるギ・フォルジェはまず、ダブルスにはシングルスで活躍したニコラ・エスクーデをサントロと組ませる。そして注目の第二シングルスプレーヤーには20歳のポール・アンリ・マシューを起用し、デビスカップ決勝という大舞台でのデビスカップデビューとなった。
 大会前日にはパリ市庁舎で組み合わせの抽選が行われた。抽選するのはベルトラン・ドラノエ市長である。その結果、初日の第1試合はマシュー対サフィン戦、第2試合はグロジャン対カフェルニコフ戦となった。

■超満員のベルシーでマシューがデビュー

 そしていよいよ、11月29日、会場のベルシー多目的スポーツセンターに1万4500人の超満員の観客を集め、決勝戦の火ぶたが切られた。その中にはフランスのジャック・シラク大統領も姿を現し、その隣に座っているのはロシアのボリス・エリツィン前大統領である。デビスカップデビューとなるマシューの世界ランキングは39位、ツアー優勝が2回だけである。一方のサフィンは世界ランキング3位で、2000年10月には世界ランキング1位に輝いたこともあり、ツアー優勝は実に11回、その中には今年のパリオープンも含まれている。しかし、マシューのツアー優勝のうち1回は今年10月のクレムリンカップであり、その準決勝でマシューはサフィンと対戦し、マシューがサフィンを下している。これが2人の唯一の対戦であり、20歳の若武者がデビスカップチームに加わった理由がよくわかる。
 マシューのデビスカップ初戦、第1セットはサフィンが6-4と先取、続く第2セットはマシューが盛り返し、6-3と取り、追いつく。ところが、ここで世界3位の実力発揮、サフィンはサービスエースを連発し、第4セット6-1、第4セット6-4と取り、3時間以上に及ぶ試合を制する。

■デビスカップ決勝での歴史的初勝利はならず

 新星マシューはパリジャンの期待に応える結果を残せなかったが、無理もないことである。1981年に日本の大手電機メーカーの尽力でデビスカップがチャレンジャー制からトーナメント制に変わり、現行のワールドグループになってから、デビスカップの決勝でデビスカップのシングルスにデビューした選手は今まで2人しかいない。1990年の豪州のリチャード・フロンバーグと1991年の米国のピート・サンプラスという2人である。フロンバーグはアンドレ・アガシに敗れ、その翌年、サンプラスはアンドレ・アガシとともにリヨンに乗り込むが、大歓声に飲まれて実力を発揮できず、アンリ・ルコントに敗れてしまう。すなわち、今まで決勝でデビューして勝利をあげた選手はおらず、マシューが勝てば史上初という偉業であった。
 時代は変わり、そのサンプラスも引退がささやかれているが、今年の全米オープンでは第17シードながら決勝でアガシを破り、5年ぶり6度目の優勝を飾っている。サンプラスは全米オープン以降公式戦に出場していないが、全米オープンの前哨戦のロングアイランドでのハムレット・カップでマシューと対戦し、敗れている。もしもサンプラスが今季限りで引退するならば、マシューはサンプラスが公式戦最後の黒星を献上した相手である。苦いデビスカップデビューとなったが、今後の活躍に期待したい。(続く)

このページのTOPへ