第236回 2003年世界陸上パリ大会 (5) 輝く7つのメダル
■明暗の分かれた今季世界最高記録を持つフランス人選手
前回の本連載はトラックでの男子の活躍を紹介したが、フィールド競技では今季世界最高記録を持つフ2人のランス人選手に期待が集まった。まず、8月初めにカストルで行われた競技会で今季世界最高となる5メートル95をマークした男子棒高跳びのロマン・メニルが登場する。しかし、メニルは26日に行われた予選で5メートル70から挑戦して失敗、結局記録がつかず、まさかの予選落ちとなってしまう。エースのメニルの失敗が影響したのか、他にエントリーしていた2人のフランス人選手も5メートル20にとどまり、予選落ちし、全滅してしまう。
女子のフィールド競技で注目を集めたのはハンマー投げのマニュエラ・モントブランである。昨年の欧州選手権では3位、今年も6月に今季世界最高となる74メートル50のフランス新記録をマークし、5月には未公認ながら75メートル台の記録を残している。26日に行われた予選ではトップの成績で決勝進出を決める。決勝ではイプシ・モレノが73メートル33で優勝、モントブランは70メートル92にとどまり、銅メダル獲得に終わった。
■ユニス・バルベル、劇的なジャンプでフランスに最初の金メダル
9日間の大会もいよいよ最後の週末を残すだけになった。連日スタッド・ド・フランスは超満員の歓声でフランス勢も史上最高の4つのメダルを獲得したが、金メダルはゼロである。週末の男女のリレーで是非とも金メダルを獲得したいところである。
30日の土曜日は男子マラソンから始まった。ちょうどパリの日系デパートがマラソン応援地図を準備し、先着5000名には日本の国旗が配布され、パリ市内の主要道路は日本人が占拠するという異様な雰囲気の週末となった。しかし、メイン会場のスタッド・ド・フランスはこれまでどおり青一色である。この地元のファン期待に応えて、フランス勢は金メダルを獲得した。
まず、18時5分から始まった女子走り幅跳びには七種競技で銀メダルを獲得したユニス・バルベルが出場した。バルベルのライバルはロシアのタチアナ・コトバ。この2人が6メートル74という記録で並び、最後のジャンプを迎えることになった。コトバはバルベルよりも先に6メートル74を記録しているため、最終のジャンプでバルベルがそれ以下の記録であれば、コトバが金メダル、バルベルが銀メダルとなる。スタッド・ド・フランスの大歓声に後押しされたバルベルの最後のジャンプは素晴らしい記録となった。自身の持つフランス記録の7メートル01にあと2センチという6メートル99をマークし、今大会でフランスに初めての金メダルをもたらしたのである。
■米国をおさえて優勝した女子4×100メートルリレー
そして圧巻はこの日のフィナーレを飾る女子4×100メートルリレーである。1997年大会以来3大会連続してメダルを獲得している期待の種目である。ライバルの米国のケリー・ホワイトが薬物疑惑でエントリーを取りやめるという事件が起こった。イラク問題以来、米国と険悪な関係にあるフランス外交筋の陰謀という噂もまことしやかに流れたが、そのようなトラック外の雑音をシャットアウトする走りを見せた。第1走者パトリシア・ジラール35歳、第2走者ミュイリエル・ウルティス24歳、第3走者シルビアン・フェリックス25歳、アンカーはクリスティーヌ・アーロン29歳と様々な年代の4人が見事な走りとバトンの受け渡しを見せる。アンカーのアーロンにバトンが渡った時、米国のトリー・エドワーズは3メートル前を走っていた。しかし、アーロンは今大会の100メートルの銀メダリストを抜き去ってゴールインする。従来のフランス記録を0.26秒も上回る41秒78という歴史的な記録で金メダルを獲得する。2つの金メダルの獲得にフランス中が熱狂し、最終日を迎えることになったのである。
■大会フィナーレでフランス新記録をマークした男子4×400メートルリレー
9日間の最後を飾る種目は男子4×400メートルリレーである。前回の本連載で紹介した400メートルでの活躍もあり、フィナーレを飾るにふさわしい種目となった。フランスの第1走者は400メートル5位のレスリー・ジョーン、第2走者は400メートルハードルにも出場したナマン・ケイタ、第3走者は本連載第233回で紹介したベテラン34歳のステファン・ディアガナ、アンカーは400メートル銅メダルのマルク・ラキーユである。今年の国際関係を象徴するような米仏の戦いとなり、米国のジェローム・ヤングが2分58秒88という記録で最初にゴールインしたが、フランスも2分58秒96というフランス新記録で2位に入り、銀メダルを獲得する。
この大会でフランスは7つのメダル(金2、銀3、銅2)を獲得、国別ランキングで5位になり、史上最高の成績を残した。何よりも素晴らしかったのはワールドカップでも経験できなかった大歓声がスタッド・ド・フランスで湧き上がったことであり、フランスのスポーツ界の輝かしい9日間であった。(この項、終わり)