第376回 初秋の赤土の死闘(1) 国民の期待を集めるデビスカップ
■サッカー以外の団体球技は好調なフランス
2002年のワールドカップに続き、2004年の欧州選手権でも国民の期待に応えることができなかったフランス・サッカー。現実的なフランス人たちはサッカーに見切りをつけ、国民の関心がすでにサッカーにないことは国内におけるフランス代表戦の空席の多さが示すとおりである。サッカー以外の団体球技では、以前から根強い人気を持つラグビー以外にもバレーボール、ハンドボール、バスケットボールなどが近年の国際大会で好成績を収め、サッカー人気低落の一因となっている。
■デビスカップで好成績を残すフランス
そして団体球技以外にもツール・ド・フランスが開催される自転車、そしてローラン・ギャロスが開催されるテニスもフランス勢が活躍している。テニスに関しては2001年デビスカップで優勝し、続く2002年も本連載第135回から第139回にかけて紹介したように決勝に進出しており、ロシアに決勝で敗れて連覇はならなかったものの、近年の戦績は目覚しいものがある。
テニスはオリンピック種目にも採用されているが、団体戦の国別対抗戦となると、デビスカップ以外は考えられない。1980年代に日本のNECがスポンサーとなってよみがえらせたデビスカップであるが、現在のスポンサーはフランスのBNPパリバ銀行であり、ローラン・ルノーのカリスマ性がこのビッグイベントを支えているのである。
世界一を決めるワールドグループは16チームが参加し、全豪の後の2月に1回戦、主要トーナメントがない4月に準々決勝、全米の後の9月に準決勝、シーズン最後の12月に決勝が行われる。シングルス4試合、ダブルス1試合を金曜日から日曜日にかけて行い、このデビスカップの開催される週はATPのトーナメントは開催されないため、選手は全精力を上げてこの3日間に国家の意地をかけることができる。サッカーの代表選手と、デビスカップの選手とでは待遇も違う。もちろん収入はサッカーの代表選手のほうが多いが、デビスカップ期間中は敵国でも自国でも国賓級の扱いを受ける。抽選会も大統領公邸や首相官邸などで行われ、選手・監督は畏敬の念を持って国家元首の館に迎えられるのである。
■王座奪回を目指した2003年デビスカップ
2002年のデビスカップでは決勝に進出し、惜しくもロシアに敗れたフランスのデビスカップチームであるが、2003年は幸先のよいスタートを切る。早春の1回戦はルーマニアとの敵地での戦い。フランスはシングルスにセバスチャン・グロジャン、ニコラ・エスクーデ、ダブルスにミカエル・ロドラ、ファブリス・サントロという陣容でブカレスト入りする。2年連続で決勝に進出しているフランスにとって、それを上回る目標はただ一つ、優勝だけである。フランスはブカレストで優勝候補にふさわしい戦いぶりを見せる。シングルス第1戦のグロジャンはアドリアン・ボイネアを3-0のストレートで下すと、続くエスクーデもアンドレイ・パベルを3-0のストレートで連勝スタート。土曜日のダブルスはサントロとロドラという最高のペアがルーマニアのペアを3-0と下した。フランスは、アウエーであるにもかかわらず、1セットも落とすことなく準々決勝進出を決めたのである。
■準々決勝でスイスと対戦
4月の初めの準々決勝、フランスの相手は1回戦でオランダを破ったスイスである。フランスとスイスの対戦の歴史は長い。初めての対戦は1923年のことである。フランスとスイスはワールドグループ制になるまでに6度対戦しているが、いずれもフランスが勝利している。ワールドグループ制になってからは1988年の1回戦で対戦しているが、この時もフランスが勝つ。フランスがスイスに初めて敗れたのはフランスが世界チャンピオンとなった翌年、1992年の準々決勝のことであった。前年の準々決勝で豪州を迎え撃つフランスはニームの古代劇場の中にクレーコートを仮設し、強豪を破ったが、そのほぼ1年後に同じアリーナでフランスはスイスに敗れ、隣国に初めての敗戦を喫するとともに、連覇の夢が途切れたのである。昨年もフランスはスイスと対戦したが、フランスは好成績を残した翌年にスイスと対戦すると、どうもうまくいかないようである。(続く)