第445回 ラグビー現象(1) パルク・デ・プランスを3たび満員にしたスタッド・フランセ
■スタッド・ド・フランスに続き、主役が交代するパルク・デ・プランス
2002年のサッカーのワールドカップ、その翌年のラグビーのワールドカップを経て、サッカーとラグビーの地位が逆転した。スタッド・ド・フランスで開催される国際試合で、サッカーの場合、空席が目立つのに、ラグビーの場合は立錐の余地もない。このことは本連載の第395回から第400回で紹介してきたが、サッカーが主を奪われたのはスタッド・ド・フランスだけではない。1998年のワールドカップ開催までフランス代表の本拠地であったパルク・デ・プランスもまたその主が代わろうとしている。
パルク・デ・プランスについては前回の本連載で紹介したように、パリサンジェルマンの試合でしばしば観客のマナーが悪く、ついに2月末のパリサンジェルマン-バスティア戦は非公開試合という不名誉な処分が下った。以前からトラブルがパルク・デ・プランスでは絶えなかったが、実際に非公開試合という処分を受けるとファンの足も競技場から遠のく。パリサンジェルマンは非公開試合を転機として成績が上向いてきたが、ものものしい警備の中で熱狂するにもはばかられる。
■総合型スポーツクラブの名門スタッド・フランセ
パリサンジェルマンに代わってパルク・デ・プランスを満員にしているのが、ラグビーの名門スタッド・フランセである。スタッド・フランセは、1883年創立と言う歴史を誇る首都パリにある総合型スポーツクラブである。ローラン・ギャロスもかつてはこのスタッド・フランセのテニスクラブのメンバーであった。かつて全仏オープンが新スタジアムを必要とした際にスタッド・フランセが土地を寄付し、その際に、メインコートにはかつてのメンバーであり国民的英雄のローラン・ギャロスの名を冠すことをその寄付の条件としている。そしてラグビーもユニフォームの色はパリ市の色である青と赤、パリサンジェルマンの誕生の90年前からこの青と赤のユニフォームがパリのスポーツの象徴である。
19世紀にフランスチャンピオンとなること5回、そして20世紀初めにもしばしばフランス国内のトップに立ったが、その後長らく低迷し、1998年に実に90年ぶり9回目のチャンピオンとなり、パリジャンを熱狂させた。以後、2000年、2003年、2004年と優勝を果たしており、つい最近までの長いトンネルを忘れさせるような見事な成績を残している。
■春になって順位を落としたスタッド・フランセ
スタッド・フランセは、パルク・デ・プランスとローラン・ギャロスの間に位置し、クラブの事務所もあるジャン・ブーアン競技場を本拠地としている。しかし、ジャン・ブーアン競技場はスタッド・フランセが総合スポーツクラブであるために、陸上トラックも併設している上に、収容人員は1万1000人しかなかった。スタッド・ド・フランスのリーグ戦での観客動員は1試合当たり平均6900人弱、これはトゥールーズの1万3000人、ペルピニャンの1万1000人、クレルモンの9500人、ブリーブの7400人、バイヨンヌの7300人に次ぎ、リーグ6位である。また、リーグでの順位も年末にはトップに立ったものの、2月に首位から陥落、4月初めには4位まで順位を落とし、決勝トーナメント進出へ黄信号が点灯した。
■欧州カップで決勝進出、リーグ戦は3位に上昇
しかし、4月2日に行われた欧州カップ準々決勝のニューカッスル戦がこのクラブとそのファンを変えた。ラグビーの欧州カップはサッカーのチャンピオンズリーグに相当する大会で、ホームアンドアウエー方式のグループリーグを経て、8チームが1試合方式で行われる決勝トーナメントに進出する。グループリーグを5勝1敗と首位で通過したスタッド・フランセは準々決勝ではイングランドのニューカッスルを迎えることになった。グループリーグでは本拠地ジャン・ブーアンを使用してきたスタッド・フランセであるが、この試合でパルク・デ・プランスを使用する。スタッド・ド・フランスは4万5000人の大観衆の大声援に応えて48-8と大勝し、準決勝に進出する。この勝利がファンの共感を呼び、16日のカストルとのリーグ戦ではチケットが前売り完売、収容能力を越える1万2000人がジャン・ブーアンに集い、24-15と勝利する。4月23日の欧州カップ準決勝もホームで戦い、同じフランス勢のビアリッツをパルク・デ・プランスに迎え、4万2000人の観衆の前で20-17と接戦をものにし、決勝に進出する。そして4月30日のリーグ戦第26節のトゥールーズ戦は会場をパルク・デ・プランスに変更し、フランスリーグ史上最高の4万5400人と言う観客を集め、新記録を達成する。パリサンジェルマンでも3試合連続して4万人以上の観衆を集めることはないだろう。この試合も40-19と勝ち、3位に順位を上げた。そしてなによりも観衆が生き生きと応援している姿が素晴らしいのである。(続く)