第740回 2007年ツール・ド・フランス(2) ロンドンのトラファルガー広場からスタート

■先進国首脳会談のプロローグとなった1974年大会

 昨年のドーピング疑惑で数多くの有力選手が欠場し、今年のツール・ド・フランスは前人未到の7連覇を果たした米国のランス・アームストロングの後継者探しが注目の的である。前回の本連載ではその最有力候補としてカザフスタンのアレクサンドル・ヴィノクロフを紹介したが、注目を集めているのは優勝争いだけではない。毎年変更されるコースにも注目が集まっている。
 今年のコースの注目点は、英国のロンドンがスタート地点であると言う点である。ツール・ド・フランスが国外のコースを設定することは珍しいことではない。1903年に始まった大会で第5回大会にあたる1907年には当時ドイツ領であったメッスを通過している。第一次大戦前の仏独の緊張下でドイツ領をコースに設定するのは勇気のいったことであろう。
 そして第二次大戦後の1947年にはステージ全体が国外となるブリュッセル-ルクセンブルグというステージを設定する。1949年にはイタリア、スペインを通り、1954年にはアムステルダムが出発地となった。そしてようやくツール・ド・フランスがドーバー海峡を越えたのは1974年のことであった。この前年の1973年にはオイルショックが起こり、アラブからは同盟国とみなされていた英国もフランスも大きな影響を受ける。このオイルショック後最初のツール・ド・フランスはブレストを出発地とし、プリマスに渡り、プリマスの周囲を160キロ走破する。このツール・ド・フランスのドーバー海峡越えはオイルショックからの復興に苦戦する各国首脳にも影響を与えた。当時のバレリー・ジスカールデスタン大統領の主導による翌年の第1回の先進国首脳会議の開催につながったのであろう。

■開通間もないユーロトンネルを通った1994年大会

 その後もツール・ド・フランスは国内外のさまざまなルートを通るが、1994年には2度目に英国の地を踏むことになった。そしてこの時は5月に開通したばかりのユーロトンネルをコースとして選定した。すなわちドーバー海峡を越えて英国に上陸したのではなく、潜って英国の地を踏んだのである。第3ステージでカレーからユーロトンネルを通って英国に上陸、次の第4ステージではドーバーからブライトンへと移動する。さらに第5ステージはポーツマス周辺を周回し、3日間にわたって英国での熱戦が繰り広げられ、英国人のクリス・ボードマンの活躍もあって欧州大陸ほど自転車競技が盛んではない英国での開催は盛り上がりを見せたのである。

■初めてコースとなったロンドンがスタート地点

 そして、今回は3度目の英国でのツール・ド・フランスとなった。コースの発表は昨年の10月に行われたが、英国誘致はその2年前、すなわち2004年にさかのぼる。2004年は英仏協商が締結されて100周年であり、記念の行事があった。その際のロンドン市長からツール・ド・フランスの主催者への申し入れを契機として、コースが決まったのである。ツール・ド・フランスとして13年ぶりの英国入りであるが、過去の2回以上の驚きを集めた。まず、これまでは英国と言ってもドーバー海峡に面した南側のみがコースであったが、今回は首都ロンドンを通り、さらそのロンドンが熱戦のスタートポイントとなっていることがあげられる。

■ロンドンがスポーツの都となった7月最初の週末

 そして第2点はツール・ド・フランスが行われる日程である。7月7日の土曜日にプロローグとしてロンドン市内を走行し、日曜日の8日はロンドンからドーバー海峡に面したカンタベリーに向かい、3日目となる日曜日は欧州大陸(ベルギー)へと戦いの舞台は変わっていく。すなわち7月最初の週末の2日間、ツール・ド・フランスが英国で行われるわけであるが、この週末は英国で重要なスポーツイベントが2つ行われる。まず、テニスの四大大会の最高峰であるウィンブルドンであり、もう1つがF1の英国グランプリである。ウィンブルドンは7日に女子シングルスの決勝、8日に男子シングルスの決勝が行われる。そしてF1の英国グランプリはシルバーストーンで7日に予選、8日に決勝が行われる。いずれも英国において最も重要であり、全世界が注目するスポーツイベントである。その2つのスポーツイベントと同じ日にツール・ド・フランスがロンドンを出発し、英国の地を駆け巡るのである。
 例年、ツール・ド・フランスのゴールはパリのシャンゼリゼ通りであるが、今年はスタートがロンドンのトラファルガー広場となった。海峡を挟む二都の代表的な通りをスタートとゴールとする今年の大会に期待は高まるばかりである。(続く)

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