第950回 2018年冬季オリンピック、アヌシーを候補地に
■第1回冬季オリンピックを開催したフランスのシャモニー
近代オリンピックを提唱したのはフランスのピエール・クーベルタン男爵、パリ大学でオリンピックの構想を講演したのがきっかけで、オリンピックが復活した。
夏季オリンピックの歴史は1896年のアテネオリンピックでスタートを切ったが、それに遅れること28年、1924年1月25日に第1回の冬季オリンピックが始まった。フランスは第1回のオリンピックの開催地をギリシャのアテネに譲り、第2回にあたる1900年にパリで開催している。冬季オリンピックについては記念すべき第1回大会をフランスのシャモニーで開催している。開催国フランスを含む欧州から14か国、北米からは米国とカナダ、合計16か国が参加して最初の冬季オリンピックが行われた。
■冬季は3回、夏季は2回開催したフランス
以後、フランスでは第10回に当たる1968年のグルノーブルオリンピック、第16回に相当する1992年のアルベールビルオリンピックとこれまでに3階のときオリンピックを開催している。米国ではこれまでに4回開催(1932年:レークプラシッド、1960年:スコーバレー、1980年:レークプラシッド、2002年:ソルトレークシティ)開催しているが、欧州で3回開催した国はフランスだけである。
一方夏季オリンピックに関しては、フランスは1900年以外に1924年にもパリでオリンピックを開催しており、3回目の開催を目指し、2008年と2012年のオリンピックの開催地としてパリが立候補したが、2008年は北京に、2012年はロンドンに敗れており、東京が開催を狙う2016年の開催としにはエントリーしていない。
■アヌシー、グルノーブル、ニース、ペルブーの4都市が2018年の開催に立候補
フランスは4回目の冬季オリンピック開催に向けて積極的な活動をしている。2007年に、2014年の冬季オリンピックの開催地がロシアのツチに決定した翌日から、2018年の冬季オリンピックの開催を目指して、アヌシー、ギャップ、グルノーブルというアルプスの3都市が開催立候補を表明している。アヌシー、グルノーブルについては2014年の冬季オリンピックにも開催の意思を表明していたが、2012年の夏季オリンピック招致でパリが敗れたことを受けて立候補を取り下げたという経緯がある。2008年にはギャップが技術的、財政的な理由から脱落したが、2008年10月のフランス国内の立候補締め切りの段階ではアヌシー、グルノーブルのほか、ニース、ペルブーの4都市が申し込み、以後、この4都市の間で招致合戦が行われ、1月と3月初めに査察が行われた。
そして3月18日に、フランスオリンピック委員会がフランス国内の立候補を一本化した。
■過半数の支持を得て選ばれたアヌシー
この中で過半数の支持を集めて国内候補地に決定したのが、アヌシーである。冬季オリンピックはその性格上、広域での開催となるが、スケート、スキージャンプ、複合を行うアヌシー、ボブスレー、リュージュを行うラプラーニュ、アルペンスキーを行うポルト・ド・ソレイユ、アイスホッケー、カーリングなどを行うモンブランの4つの地区からなる。アヌシーから最も遠い地区はモンブランであるが、モンブラン地区の中心は最初の冬季オリンピックを開催したシャモニーである。アヌシーとシャモニーの距離は60キロ弱、また、すでに大会開催に必要な設備のうち80%は完成しており、環境への影響も少ない。
アヌシーの対抗馬と見られたグルノーブルは、設備は整っていたが、すでに1968年に開催した経験があるということがマイナス要因となったのであろう。第1回投票ではアヌシーの23票に遠く及ばない9票しか獲得できず、関係者はショックの色を隠すことができなかった。また、4都市の中で最大の都市であるニースも10票にとどまり、財政的に問題があるとされたペルブーは1表も獲得することができなかった。敗れたニースは前向きで、2012年のフィギュアスケートの世界選手権、体操の欧州選手権の開催、2016年のサッカーの欧州選手権の開催を目指す。さらには2020年あるいは2024年の夏季オリンピック開催と希望は膨らむ。
2018年の冬季オリンピックの開催地は、2011年7月に南アフリカのダーバンで開催される国際オリンピック委員会の総会で決定される。現時点のライバルは韓国の平昌、ドイツのミュンヘンである。フランスは4回目の冬季オリンピックを開催することができるであろうか。(この項、終わり)