第1213回 2010年男子ハンドボール世界選手権 (6) 世界一フランスの20年間の歩み
■多彩なタレントを抱え順当な優勝
フランスの男子ハンドボールチームは決勝戦に初めて進出したデンマークを延長戦で振り切って優勝を果たした。今シリーズの第1回に当たる第1208回の本連載では現在の男子ハンドボールチームがフランス団体球技史上最強であると紹介したが、その伝説をさらに強固なものにする結果となった。
まず、本大会の試合展開を見ると、リードされたのは、決勝のデンマーク戦の延長での1分間だけであり、終始試合の主導権を握っていた。大会前から優勝候補筆頭と目されていたが、その期待通りの横綱相撲を取って優勝カップを手中にしている。
また、エースのニコラ・カラバティックを支える選手層の厚さにも注目したい。特に第2ラウンド以降の厳しい試合では、第2ラウンド初戦のハンガリー戦ではカラバティックが7得点をあげたが、カラバティックが不在となった第2戦のノルウェー戦はベルトラン・ジル、リュック・アバロ、ウィリアム・アカンブレイがそれぞれ5得点をあげている。そして第3戦のアイスランド戦ではカラバティックが7点をあげるとともに、グザビエ・バラシュも6点をあげている。
準決勝ではカラバティックがマークされて3得点に抑えられてもジルとミカエル・ギグーがそれぞれ8得点をあげ、地元相手の試合に勝利している。決勝戦ではカラバティックが今大会最後の得点を含む10得点をあげ、有終の美を飾っている。
■世界一を争うようになってから20年弱のフランス
フランス代表がハンドボールの世界一を争うようになってからまだ20年も経っていない。世界選手権、欧州選手権、オリンピックの三大タイトルでフランスが初めてメダルを獲得したのは1992年のバルセロナオリンピックが最初である。銅メダルを獲得した当時の代表チームは「ブロンゼ(銅)」というニックネームがついた。
■次々とニックネームを変え、現在は「レ・ゼクスペール」
そして当時はアマチュアでありながら試合、練習だけではなくすべての時間をハンドボールに捧げるメンバーはファンの熱い共感を呼び、親しみを込めてこのチームを「バルジョ(変わり者)」と呼んだのである。「バルジョ」は1993年の世界選手権で決勝に進出し、ロシアに優勝を譲ったものの、1995年の世界選手権で優勝し、フランスの団体球技として初めての世界チャンピオンになった。1985年以来フランス代表を率いてきたダニエル・コンスタンティニ監督は2000年のシドニーオリンピックで6位にとどまったものの、翌年の自国開催の世界選手権まで任期を延長し、見事に地元開催で優勝し、2度目の世界一の座につき、「コスト(頑丈)」とこのチームは呼ばれるようになった。「コスト」は指揮官が現在のクロード・オネスタに変わり、それ以降の強さについてはこれまでに紹介してきたとおりである。そして2008年になるとニックネームが「レ・ゼクスペール」となる。これは日本でも「CSI:科学捜査班」として放映されているテレビの人気番組のタイトルからとったものである。
このように世界を争うようになってからのフランス代表はニックネームを変えてきたのである。
■大健闘した16位の日本
さて、日本の読者の皆様の関心はフランス代表よりはむしろ日本代表の戦いぶりであったであろう。日本は第1ラウンドでアイスランド、ノルウェー、ハンガリー、オーストリア、ブラジルという欧州勢が4チーム入るグループBで戦い、欧州勢のオーストリア、米大陸のブラジルに勝利し、グループ4位と惜しくも第2ラウンド進出を逃した。順位決定戦ではグループAで4位になったエジプトと戦い、28-34と敗れ、最終順位を決定する15位決定戦ではアルジェリアに24-29と敗れ、16位になっている。第2ラウンドに進出した12チームのうち11チームは欧州勢、唯一欧州以外から残ったアルゼンチンは12位に終わっている。日本は欧州勢に勝利した数少ないチームであり、欧州勢以外の順位では5番目である。
日本代表を多くのファン成田国際空港で出迎えたこともこの結果を見れば当然であり、フランス同様、ハンドボールブームが起こるのは時間の問題であろう。(この項、終わり)