第1237回 フランス勢の独壇場のラグビー (2) ペルピニャンとトゥールーズが準決勝進出

 3月11日に起こった東北地方太平洋沖地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、救援活動、復旧活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■大会前はイングランド勢よりも評価が低かったフランス勢

 1995年から始まったラグビーの欧州クラブ王座決定戦であるハイネケンカップでのこれまでのフランス勢の活躍について前回の本連載で紹介したが、フランス勢の勢いは今大会も止まらなかった。
 フランス勢で今大会に出場したのはトゥールーズ、ビアリッツ、クレルモン、ペルピニャン、カストル、トゥーロン、ラシンメトロの7チームである参加24チームが4チームずつ6つのプールに分かれてホームアンドアウエーでプールリーグを戦い、各プール1位6チームと2位のうち成績がよかった2チームの合計8チームが決勝トーナメントに進む。
 プールリーグの組み分けの段階で第1シードから第4シードまでランク分けされ、この段階で上位6チームと目される第1シードにはフランス勢はトゥールーズとビアリッツしか入っておらず、クレルモンが第2シード、ペルピニャンが第3シード、カストル、トゥーロン、ラシンメトロの3チームは最下位の第4シードであった。出場7チームすべてが第3シード以上というイングランド勢に食らえてフランス勢の評価は高くはなかった。

■7チーム中4チームがプールリーグ首位になったフランス勢

 ところがプールリーグではフランス勢は好調であり、トゥールーズ、ペルピニャン、ビアリッツ、トゥーロンの4チームが1位でプールリーグを終え、決勝トーナメント進出を果たす。すなわちフランス勢は決勝トーナメント進出チームの半数を占めた。準々決勝に進出した4チームのうち、南仏の地中海に臨むトゥーロン以外は南西部のチームである。
 フランス勢以外に決勝トーナメントに残ったのはイングランドのノーザンプトンとレスター、アイルランドのアルスターとレンスターである。
 このハイネケンカップのプールリーグは10月に始まり1月中旬に終わる。そして決勝トーナメントは4月に始まる。このようにプールリーグと決勝トーナメントの間隔があいているのは2月初めから3月にかけては代表チームの6か国対抗が行われている。ラグビーの場合は代表チームの試合が期間を区切って集中的に行われるためこのような日程になっている。つまりファンは年間を通して代表またはクラブの国際試合を楽しむことができるのである。

■スペイン国内で行われたフランス勢同士の戦い

 プールリーグがホームアンドアウエー方式で行われるのに対し、決勝トーナメントは1回戦制である。これもまたラグビーという競技の特性から来るものであろう。8チームが出場する決勝トーナメントの組み合わせ抽選がプールリーグの最終戦の後に行われ、なんとフランス勢同士が準々決勝で戦うことになり、4月9日にペルピニャン-トゥーロン戦、10日にビアリッツ-トゥールーズ戦が行われることになった。そしてさらに驚いたことに、これらの試合はいずれもフランス国内ではなく、スペインで行われた。

■猛追をかわしたペルピニャン、延長戦を制したトゥールーズが準決勝進出

 ペルピニャンはバルセロナのリュイス・コンパニス競技場で行われた。聞きなれない競技場名であるが、1992年のバルセロナオリンピックのメイン会場のモンジュイック競技場が2001年に改名している。このバルセロナにおいてフランスのクラブチーム同士の戦いに満員の5万5000人の観衆が集まった。数年前までサッカーのエスパニョーラが本拠地としていたがバルセロナ戦やレアル・マドリッド戦でなければ満員にはならない。欧州において見るスポーツとしてのラグビーの人気はこのように高いのである。前半はなかなかスコアボードが動かない展開であったがアウエーのトゥーロンが10-6とリードして折り返す。後半に入ってピレネー山脈を越えてやってきたペルピニャンのファンが歓喜するシーンが続き、逆転したのちも得点を重ねる。試合終盤にトゥーロンも追い上げたが、ペルピニャンが29-25で逃げ切った。
 翌日のビアリッツは本連載第287回および第552回にも登場したサンセバスチャンのアノエタ競技場を選択する。これもまた3万2000人の大観衆で埋まる。前半はトゥールーズが17-0と一方的にリードする。しかし後半に入ってホームのビアリッツが反撃、結局80分を終わった時点で20-20のタイスコアとなり延長戦に突入する。延長戦でトゥールーズが決勝トライをあげ、ゴールも成功させて27-20と勝利して南西部の2チームが準決勝に進出したのである。(この項、終わり)

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