第2257回 ベルギーに競り勝ち、16年ぶりのデビスカップ優勝 (2) 16年ぶりにベルギーと対戦

 6年前の東日本大震災、昨年の平成28年熊本地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■ワールドグループ制以前の対戦は2勝2敗

 前回の本連載ではフランスとベルギーがデビスカップに初参戦した時に両国が対戦し、ベルギーが勝利したことを紹介したが、これまでにフランスはデビスカップでベルギーと7回対戦したことがある。
 最初の対戦は前回紹介した1904年、そして次の対戦は第一次世界大戦が終了して大会が再開した1919年のことである。前回紹介した通り、1919年の対戦はフランスが3-0と勝利したが、マックス・デキュギスが2勝をあげる活躍であった。
 そして3回目の対戦は1952年の欧州ゾーンの準決勝、パリのローラン・ギャロスで行われ、最初の対戦同様にダブルスを終えた時点でフランスがリードしていたが、最終日のシングルスで連敗、ベルギーが欧州ゾーンの決勝に進出している。しかしベルギーは欧州ゾーンの決勝でイタリアに敗れている。
 4回目の対戦は1975年の欧州ゾーンの準々決勝、またローラン・ギャロスでの戦いとなった。フランスは初日のシングルスで連勝、2日目のダブルスは第4セットをベルギーが16-14という大熱戦の末、奪って1勝をあげるが、最終日のシングルスの第4ラバーでフランスが勝利を決めた。フランスは準決勝でイタリアに勝利したが、決勝でチェコスロバキアに敗れている。なお、この大会はスウェーデンがビヨン・ボルグの活躍で初優勝を飾り、新時代の到来を告げている。

■フランスをワールドグループから陥落させた1997年の対戦

 5回目の対戦は現在のワールドグループ制となって久しい1997年のことである。フランスはワールドグループ1回戦で豪州に敗れる。敗れたフランスはプレーオフに回る。このプレーオフでフランスと対戦したのがベルギーである。フランスは1981年にワールドグループ制になってからワールドグループから陥落したのは1年だけである。ヤニック・ノア監督率いるフランスチームはファブリス・サントロ、リオネル・ルー、ギヨーム・ラウー、セドリック・ピオリンという20代半ばのメンバーが集まった。初めて両国がベルギーの地で対戦することになり、ゲントでの戦いが始まった。フランスは初日のシングルスでサントロ、ピオリンが連敗するという厳しい立ち上がりとなった。2日目のダブルスはラウーとサントロのペアがようやく初勝利をあげ、日曜日の第4ラバーのエース対決もラウーが勝利し、勝負の行方は最終の第5ラバー、ルーとファン・ガルセの戦いに委ねられることとなった。ルーは2セットを先行され、第3セットを奪ったものの、第4セットを落とし、1-3で敗れる。そしてフランスは自国でサッカーのワールドカップが開催され、優勝した1998年は下部のグループI(欧州・アフリカゾーン)で戦うこととなったのである。

■ワールドグループ復帰初年の1999年には雪辱

 フランスは1年でワールドグループに復帰し、1999年を迎える。1999年の大会でフランスは1回戦はオランダ、準々決勝でブラジルを下し、準決勝に進出する。準決勝の相手はフランスを2年前に降格させたベルギーである。プレーオフと同時期の9月に行われる準決勝、フランスは監督がノアからギ・フォルジュに代わったが、ベルギーに対する執念を見せる。ポーで行われた初日のシングルス、第1ラバーに登場したのはセバスチャン・グロスジャンである。3-0と幸先の良いスタートで、第2ラバーは2年前には勝利をあげることができなかったピオリンがフルセットの熱戦を制し、2年前とは逆に初日で2勝のリードを奪う。そして2日目のダブルスもオリビエ・デレートルとサントロのペアがストレート勝ち、フランスは2日目で決勝進出を決め、2年前の雪辱を果たしたのである。そしてそれ以降一度もワールドグループから陥落することはなかったのである。

■16年前は優勝への第一歩として1回戦で完勝

 その2年後もフランスはベルギーと顔を合わせる。ワールドグループの1回戦で再びゲントでの戦いとなる。アルノー・クレマンとグロスジャンが出場した初日のシングルスでフランスは2試合とも2セットを取られながら、その後3セット連取で大逆転勝利し、王手をかける。ピオリンとサントロのダブルスはストレート勝ちでフランスはベルギーを下す。そしてこの年、フランスは優勝を果たす。16年ぶりにベルギーと顔を合わせるがそれは16年ぶりの優勝をかけた戦いなのである。(続く)

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