第65回 連覇を目指す23人(1) 8人のティーニュ合宿で始動したフランス代表

■「引き算方式」から「足し算方式」に変化した代表選手の選考

 フランス協会には約200万人が選手登録しているが、その代表として胸に鳥と金の星のユニフォームを着てワールドカップに出場することができるのはわずか23人である。今回と次回はその23人の選考経過について紹介したい。
 フランスワールドカップ以降、フランス代表選手の多くは国外のビッグクラブに所属している。欧州においては各国のカレンダーがほぼ標準化されているが、リーグ戦の最終節が微妙にずれていることに加え、リーグ戦終了後にカップ戦の決勝が控えている。フランスの場合、リーグ最終節の1週間後に行われたフランスカップの決勝は本連載の第61回ならびに第62回で紹介したとおりロリアンとバスティアの間で争われたが、この両チームにはフランス代表選手が所属していない。しかし、フランス代表選手が所属する国外のビッグクラブの多くが欧州カップや各国のカップ戦のファイナリストとなっており、フランスリーグが終了しても直ちに代表選手を全員集めることができないのである。1998年のワールドカップの際は代表候補選手としてエントリー数より若干多いメンバーを招集し、大会直前にメンバーを絞るという方式をとった。
 ところが、このように選手が国内外に分散していると、全員が代表チームに専念できるタイミングを待っていたのでは本大会が始まってしまう。その結果として招集した候補選手からふるいにかける「引き算方式」は2000年欧州選手権では、集められる範囲で選手を招集し、順次選手を追加する、という「足し算方式」に変化したのである。

■第一段階はフランスリーグ終了後のティーニュ合宿

 今回の選手選考も2000年の欧州選手権同様、段階的に選手を招集していくと言う「足し算方式」で23人の選手を決定した。まず、第一段階はフランスリーグ終了後の5月6日から10日まで雪の残るティーニュで行われた合宿である。1980年代後半にクレールフォンテーヌの合宿所を使用するようになってから、フランスはワールドカップ予選で苦戦している。 1990年イタリア大会、1994年米国大会と連続して予選落ちしており、1998年フランス大会は開催国、2002年韓国・日本大会は前回優勝で予選免除であり、結局クレールフォンテーヌからワールドカップ予選突破がないという縁起の悪い合宿所になっている。

■縁起のいいティーニュ合宿

 一方、その逆に縁起がいいのが通算4回目となるこのティーニュ合宿であり、1998年の自国でのワールドカップ前から行われるようになった。1997年のクリスマス休暇に選手を招集したのが最初の合宿であり、各国リーグ戦が終了した1998年5月に2回目の合宿を行い、世界チャンピオンに輝いている。また、2000年欧州選手権ベルギー・オランダ大会を控えた2000年5月にも合宿を行っている。この時も国によってはリーグ戦が終了していないため、フランスリーグに所属する10人だけで合宿が行われた。
 国外リーグ組の合流が遅れ、ベルギー・オランダでの戦いが危惧されたが見事に栄冠を獲得しており、「足し算方式」が継承されることになったのであろう。また、今季フランスリーグを制覇したリヨンもシーズン前の昨夏この地で合宿を行っている。

■8人がアジア行きのチケットを獲得

 二冠のスタートとなったティーニュ合宿、まだ雪の残るティーニュ合宿のメンバーはクラブでの日程が終了している選手が対象となり、リーグ最終節(5月11日)を控えているイングランドとスペインのリーグに所属している選手と欧州チャンピオンズリーグ決勝(5月15日)に進出したレアル・マドリッド、イタリアカップ決勝(5月10日)を控えるユベントス、パルマの選手は招集されなかった。その結果5月1日に発表された合宿参加メンバーは、フランスリーグに所属している5人の選手に加え、ドイツのバイエルン・ミュンヘンから2人、イタリアのASローマから1人という8人になった。ポジション別に紹介するとGKはウルリッヒ・ラメ(ボルドー)とグレゴリー・クーペ(リヨン)、DFはフランク・ルブッフ(マルセイユ)、ビシャンテ・リザラズとビリー・サニョル(ともにバイエルン・ミュンヘン)、バンサン・カンデラ(ASローマ)、MFはクリストフ・デュガリー(ボルドー)、FWはジブリル・シセ(オセール)という8人である。この8人でシーズン終了の疲れを癒すために選手たちはスキーや散歩を楽しみ、寝食をともにすることによりチームの団結力を上げていくことを主眼とした合宿が行われたのである。(続く)

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