第82回 デンマークに惨敗、悪夢再び(5) スポンサーからの支援と疲労の蓄積
■名門航空会社エールフランス
前回の本連載では遠方における親善試合に加え、リーグ戦での出場過多が選手に疲労を蓄積させたことを紹介した。この遠方での親善試合やリーグ戦での出場過多についてはスポンサーの存在が影響している。フランス代表のスポンサー企業については本連載第回で韓国のLG社の例をあげたが、それ以外にも多くの企業がスポンサーに名を連ねている。その中でエールフランス航空は代表チームの移動に貢献している。
同社については1933年に5社の合併によって誕生し、第二次世界大戦後国営化されている。現在の旅客機の標準的な塗装デザインである「ホワイトボディに尾翼のワンポイント」というデザインを世界で最初に導入した名門航空会社である。1952年には日本支社を設立するとともにパリ-ローマ-ベイルート-カラチ-サイゴン-東京という南回りの経路で日本に就航している。今年は日本就航50周年ということに加え、同社の日本支社長のベルナール・アンケ氏が今年初めに在日フランス商工会議所の会頭に就任したことから、日本の財界との関係はより密接になった。また、フランス代表チームのスポンサーであることについては日本国内でもキャンペーン活動を行い、東京ではサッカーをイメージした広告を搭載した大型車両が走り回っている。
■長距離遠征に不可欠な航空会社の支援
エールフランス社のフランスサッカー界への貢献は本連載第14回で紹介した1979年の米国遠征が有名である。厳しい日程の中での米国遠征はフランスが英国と技術協力をして開発したコンコルドの使用によって実現された。コンコルドは1976年に実用化され、当初は騒音問題のために米国上空を飛行することを許可されず、ようやく許可された矢先にフランス代表チームの遠征に使われることになった。パリとニューヨークの間を3時間で飛行できるコンコルドの利用は多忙なサッカー選手にとっても、航空会社にとっても大きなチャンスであると期待されたが、路線がパリ・ロンドンとニューヨークを結ぶ路線だけになってしまったこと、快適性の問題などで、その後は使われていない。
通常フランス代表の遠征には同社のフライトを利用してきたが、昨年9月のチリ戦ではスペインのイベリア航空を利用し、1-2と敗戦した。11月の豪州遠征では特別にフライトを準備するとともに、選手がくつろいで移動できるように1億円以上かけて機内を改造した。エール・フランスにとっては代表チームの移動に自社を利用してもらうことが大きなキャンペーンとなる。しかしながら、同社のキャンペーンのために一役買ったフランス代表イレブンにとって小さくない代償となった。スポンサーの厚意には感謝しなくてはならないが、それが逆に選手の疲労を蓄積させる一因となってしまったことは残念である。
■広告、テレビへの出演が疲労を呼ぶ
遠征よりも選手の疲労を蓄積させた理由として選手がサッカー以外の様々な活動、特に商業的な活動をしなくてはならなくなったことがあげられる。フランスワールドカップまでサッカー選手はサッカーをプレーする存在であった。しかし現在では選手に様々なスポンサーがつき、至るところで選手の広告を見かけるようになった。地元開催で優勝したワールドカップ以前ではフランスでは現役のサッカー選手がテレビや雑誌の広告に出ることはほとんどなかった。唯一に近い例外はシェーバーの宣伝に出ていたジャン・ピエール・パパンであったが、男性向けのものであり、現在のように老若男女を対象にしたコマーシャルに数多く出演していたわけではなかった。
また、著名人としてテレビの番組などに出演する機会も多くなった。従前はサッカー選手がテレビ出演するとしてもスポーツニュースやダイジェストが中心であったが、今日では芸能人のようにそれ以外のジャンルの番組にも出演することになった。
これらのテレビやコマーシャルへの出演はもちろんスポンサーあってのことであり、感謝しなくてはならないが、選手たちはスポーツ以外の慣れない活動に時間を取られ、肉体的にも精神的にも疲労が蓄積することになったのである。
このようにフランス代表に対する期待が高まり、それがスポンサーからの支援による遠征、テレビ等への出演という形であらわれたが、スポーツ選手にとってはそれが必ずしも好ましいことではなかったのである。(続く)