第94回 アジアで活躍したフランスのクラブの選手(6) 健闘したパラグアイ、米国、メキシコ勢

■パラグアイの有名GKホセ・ルイス・チラベルト

 前回はブラジルとアルゼンチンの4人の選手を紹介したが、今回は、まず一番有名な南米の選手を紹介しよう。パラグアイのGKのホセ・ルイス・チラベルトである。まもなく37歳になろうとするベテランGKはアルゼンチンのサンロレンソ、スペインのレアル・サラゴサ、アルゼンチンのベレス・サルスフィエルドで多くのビッグタイトルを獲得し、2000年にストラスブールに移籍してきた。移籍初年度はリーグで最下位、カップで優勝と言うアンバランスな成績で2部降格、しかしながら1年で1部に復帰し、来るシーズンには1部でプレーをする。ワールドカップでは初戦は出場停止、第2戦のスペイン戦ではFKが先制点の起点となったが、肝心の守備面では3失点で逆転負け、最後のスロベニア戦は先制されながらも逆転し、試合終盤に追加点、南アフリカを総得点で上回って、決勝トーナメントへの進出を決めた。決勝トーナメント1回戦では準優勝のドイツに0-1と敗れ、前回大会と同じベスト16にとどまった。
 チラベルトはGKとしてゴールを守るだけではなく、FKの名手としてしばしば得点を記録している。フランスに移籍してきてから2年間で無得点、今回のワールドカップもゴールネットを揺らすことはなかった。ドイツと西帰浦で対戦し、敗退してから日本に渡り、日本のテレビに出演するなど未来の大統領は本業以外でも多忙な日々を過ごした。そのせいか、フランスに戻ってきてからの体調は万全ではなく、体重もオーバーしている。シーズン開幕前の練習試合のGKはソショーから移籍してきたバンサン・フェルナンデスが務め、チラベルトはダイエットに励むと言う日々が続いている。

■今回は出番がなかった米国のデビッド・レジス

 今大会は従来の欧州と南米と言う二大勢力の構造が崩れ、その他の地域のチームが活躍した。アジアの韓国が四強に、アフリカのセネガルが八強にそれぞれ進出した。そして北中米・カリブ地域では、米国が72年ぶりに八強に進出したほか、決勝トーナメント1回戦で米国に敗れたメキシコもグループリーグでは強豪イタリアを抑えて首位で通過した。
 準々決勝まで勝ち進み、準々決勝では準優勝したドイツにあと一歩まで迫った米国はブルース・アリーナ監督の組織的なサッカーに注目が集まった。リベロのデビッド・レジスがメッスに所属している。レジスは1968年に本連載の第34回から第38回にかけて紹介したフランスの海外県のマルティニックで生まれたフランス系米国人である。
 1990年のイタリア大会以来、米国は4大会連続して出場しているが、イタリア大会が行われた段階で、すでにレジスは当時フランスリーグ2部のバランシエンヌに所属していた。その後ストラスブール、ランスなどに所属し、1997年にはドイツのカールスルーエに移籍し、ワールドカップ・フランス大会直前に米国代表入りしている。ワールドカップ・フランス大会ではグループリーグの3戦にフル出場したが、3戦全敗に終わった。しかし、その活躍が認められ、大会終了後メッスに移籍、途中半年ばかりイタリアのカリアリに所属したが、今回のワールドカップではフランスのクラブに所属する唯一の米国代表となった。しかしながら、前回紹介したアルゼンチンのマルセロ・ガジャルド同様、2度目のワールドカップでは出場の機会がなかったのである。

■唯一の非スペイン語圏のチームからの選出、メキシコのラファエル・マルケス

 最後に紹介するのは中米の古豪メキシコのラファエル・マルケス(モナコ)である。メキシコは23人の登録選手中19人が国内リーグの選手である。その中で最大の母体となっているのは代表のハビエル・アギレ監督が以前監督を務めていたパチュカの4人である。国外のクラブに所属する選手のうちマルケス以外の3人は言語・文化の面でつながりの強いスペインのクラブに所属している。唯一スペイン語圏以外から選出されたマルケスに対する期待が大きいことがよくわかる。マルケスは、フランス人にとって忘れられない1986年のブラジル戦の舞台となったグアダラハラのハリスコ競技場を本拠地とするアトラスから、1999年にモナコに移籍してきた。今大会は全試合に出場し、中盤の守備を支えた。残念だったのは決勝トーナメント1回戦の88分。すでに0-2と敗色濃厚であったが、米国のジョーンズに対し、ラフプレーを行い、一発退場となってしまったことである。

■フランスにワールドカップ組がいないアジア諸国

 本来は五大陸の最後としてアジアの選手も紹介したいところであるが、残念なことにアジアの選手でフランスのクラブに所属し、ワールドカップに出場した選手はいないのである。(続く)

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