第381回 アイルランドと5度目の対戦 (2) 4度のワールドカップ予選で対決

■4大会8試合を戦ったワールドカップ予選

 フランスとアイルランドは実にこれまで4回もワールドカップ予選で戦っている。今までのフランスはワールドカップ予選を1934年のイタリア大会のルクセンブルグ戦を皮切りに13大会69試合戦ってきている。そのうちの4大会で8試合アイルランドと対戦している。これよりも対戦数が多いのはユーゴスラビア(4大会で9試合)とブルガリア(4大会で9試合)だけである。

■アウエー、ホームとも連勝したスイス大会予選

 フランスとアイルランドがワールドカップで最初に対戦したのは1954年スイス大会のことである。フランスは前回大会予選ではユーゴスラビアとのプレーオフの末、敗退しており、初めてワールドカップ本会に出場しなかった。隣国スイス行きをかけた予選でフランスは1953年の秋に月1試合のペースで行われた。フランスは9月にルクセンブルグに大勝し、10月4日にダブリンでアイルランドと対戦した。前回大会から英国勢もワールドカップにエントリーしていることから、アイルランドも本大会に出場してその存在をアピールしたいところである。ところが前回大会出場を逃したフランスが前半から得点を重ね、後半早々には3-0と大きくリードする。アイルランドも地元ファンの前で意地を見せて反撃するが、結局5-3というスコアでフランスが勝利した。11月25日にはパリでフランスとアイルランドが対戦する。フランスはロジェ・ピアントーニのゴールを守りきって大きくスイス行きに前進、アイルランドの夢は破れる。フランスは予選最終戦のルクセンブルグ戦は代表未経験の選手のみ11人で臨みながらも8-0と大勝してスイス行きを決定する。今回の予選では考えられないような余裕のある話であるが、この11人のうちの1人がジュスト・フォンテーヌだったことを付け加えておきたい。

■アイルランド戦の取りこぼしで予選落ちした西ドイツ大会

 フランスがアイルランドとワールドカップ予選で顔を次にあわせたのは1974年の西ドイツ大会予選である。フランス、ソ連、アイルランドで争われた予選でフランスはまずソ連をパリに迎える。本連載第52回でのこの試合は紹介しているが新装なったパルク・デ・プランスでフランスは幸先よい勝利。しかし、1972年11月15日にアイルランドがフランスの行く手を阻んだ。ダブリンでの試合でフランスは先制点を許す。そして後半に入ってジャン・ミッシェル・ラルケのゴールで一旦は追いついたものの、76分にアイルランドに勝ち越し点を許す。アイルランドのワールドカップ予選フランス戦初勝利を献上したのである。年が変わってシーズン終了後の5月下旬、フランスはまずアイルランドをパリに迎え、その翌週にモスクワに乗り込む。5月19日のパリでの試合、78分にセルジュ・シエーザがアイルランドのゴールを破るが、その5分後にアイルランドに追いつかれ、西ドイツ行きは危うくなる。最後の望みを託したモスクワでの戦いも、フランス守備陣はよく持ちこたえるが、終盤に2失点、西ドイツ大会出場を逃したのである。

■ホームで勝利、アウエーで敗れながらも本大会に出場した2大会

 1978年大会予選でもフランスはアイルランドと同組になり、ブルガリアを加えた3か国でアルゼンチンを目指す。フランスは初戦をアウエーでブルガリアとドロー、第2戦はホームのアイルランド戦。この試合ではミッシェル・プラティニが先制点を挙げ、プラティニにとってワールドカップ予選初勝利、アウエーの試合ではアイルランドに敗れたものの、ホームのブルガリア戦で勝利して第1回ウルグアイ大会以来48年ぶりの南米でのワールドカップに出場する。
 そして1982年大会予選でもフランスとアイルランドは同組となる。フランス、ベルギー、オランダ、アイルランド、キプロスで争われた予選は今でも語り継がれる劇的な予選となったが、フランスとアイルランドは1980年10月28日にパリ、1981年10月14日にダブリンで対戦している。キプロス以外の4チームの星のつぶしあいとなったが、フランスはパリではプラティニのゴールなどで2-0と勝利する。ダブリンでは常に先手を取られ、勝つことはできなかったが、終盤にプラティニがゴールをあげて2-3と1点差に追い上げる。フランスは第9戦のオランダ戦にホームで勝ち、最終戦のキプロス戦でも大勝し、ピレネー山脈を越えるチケットを手にした。
 このようにフランスとアイルランドのワールドカップ予選での対戦歴は4勝1分3敗、ホームでは3勝1分である。4回の予選のうち3回は本大会に出場を果たしている縁起のいい相手であるが、唯一の予選落ちが今回と同じ西ドイツ大会の予選であったと言うことが気がかりである。(続く)

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