第560回 フランス代表メンバー発表(3) 代表未経験でメンバー入りしたアルベール・ルスト
■1986年のアルベール・ルスト以来の新人の選出
前回の本連載では2人の新人を含む23人のメンバーを紹介したが、代表経験のない選手をワールドカップのメンバーに入れることは極めて異例のことである。フランス代表の歴史を遡ると、メンバー交代が認められるようになった1978年大会以降では初めてのことである。1978年大会以降、フランス代表として一度も試合に出場したことのない選手がワールドカップのメンバーに選ばれたのは1986年大会のGKアルベール・ルストだけである。
■ブラジルとの死闘が印象的な1986年大会
1986年大会はブラジルとの死闘が印象深いが、この時のフランス代表の正GKはジョエル・バツである。この大会フランスは初戦のカナダ戦はジャン・ピエール・パパンの代表初ゴールで勝利する。ソ連とは引き分け、ハンガリーに勝利し、決勝トーナメントに進出する。決勝トーナメントではイタリアに勝ち、準々決勝でブラジルとのあまりにも美しくそして過酷な戦いを繰り広げ、PK戦で勝利する。そして準決勝の相手は1982年大会と同じ西ドイツであった。1982年大会ではPK戦にもつれ込む熱戦であったが、ブラジルとの死闘で力尽きたフランスは西ドイツ相手に0-2で敗れる。西ドイツに敗れた3日後にフランスは3位決定戦を戦わなくてはならなかった。3位決定戦の相手はフランス最大のライバルであるベルギーである。2大会連続の3位決定戦であるが、1982年大会はポーランド相手に控え選手中心で臨んで敗れた。それまでの大会では3位決定戦は実力のあるチームがタイトルの圧力から逃れ、好ゲームになるという傾向があったが、フランスはこの美しい伝統を壊してしまった。
■32歳8か月での代表デビューは史上最年長
そして4年後の3位決定戦、アンリ・ミッシェル監督はフランス・サッカーの象徴であるミッシェル・プラティニ、ブラジル戦で最後にPKを決めたルイ・フェルナンデス、ブラジル戦で神様ジーコのPKを阻んだバツをメンバーから外す。ゴールに立ったのはソショーに所属していたルストであり、代表デビューを果たす。このときルストは実に32歳8か月、フランス代表史上最年長での代表デビューとなったのである。
■ベンチで二冠を獲得したルスト、デビュー戦が最後の代表ゲーム
フランスは1984年の欧州選手権で優勝しているが、この時のGKはバツ、ルスト、フィリップ・ベルジュローの3人であった。ところがバツが全試合フル出場を果たし、ルストは出番がないまま欧州チャンピオンとなる。翌年の8月に行われた南米チャンピオンのウルグアイとのインターコンチネンタルカップにもルストはメンバーに選ばれるが、パルク・デ・プランスのゴールに立ったのは地元パリサンジェルマンに所属するバツであり、2-0と南米王者を完封する。つまり、ルストは1度も試合に出ずに欧州選手権、インターコンチネンタルカップと言う2つのタイトルを獲得したのである。
そして二冠をベンチで獲得したルストがようやくピッチに立つときがやってきた。消化試合となったベルギー戦であるが、フランスは4年前の汚名を返上する。パパンを中心とする若い攻撃陣が活躍し4得点を挙げる一方のルストは2失点を喫してしまうが、3位となり銅メダルを獲得する。結局ルストはこの後、代表チームの試合に出場することなく、このベルギー戦が唯一の代表での試合となり、1990年に現役を引退する。ルストの現役最後の試合はフランスカップの決勝であり、延長の末、ラシン・パリ1を下して初優勝に導き、見事に引退の花道を飾る。
また、フル代表の大会ではないが、1984年の欧州選手権直後のロサンジェルス・オリンピックでは正選手としてチームを優勝に導いている。
■若き日のバツの目標となったルスト
バツの控え選手として欧州選手権、インターコンチネンタルカップを獲得したルストであるが、実は興味深い事実がある。正GKのバツはこの当時はパリサンジェルマンに所属していたが、ソショーでプロにデビューしている。バツのデビュー時のソショーの正GKがルストであり、バツはルストを目標に練習に励んだ。ルストがいたためにソショー時代のバツは試合出場の機会に恵まれず、ソショーからオセールへ移籍し、ここでフル代表デビュー、その後ソショーからパリサンジェルマンへと移籍しフランスを代表するGKとなった。
若き日のバツの目標となったルスト無しには1980年代の栄光はなかったのかもしれない。(続く)