第582回 ポルトガルと3度目の準決勝対決(3) 3度目もポルトガルを破り決勝進出
■ポルトガルが準決勝で開催国以外に敗れた2000年
これまでの国際大会の歴史を振り返ると、ワールドカップでは1度、欧州選手権では2度、準決勝で敗れたポルトガルにとってミュンヘンの戦いが4回目の挑戦である。ポルトガルの準決勝の歴史を振り返れば、1966年ワールドカップはイングランド、1984年欧州選手権はフランスと開催国に敗れているが、ベルギーとオランダで開催された2000年欧州選手権では開催国ではないフランスに敗れており、今回もまた中立国のドイツでの準決勝で同じ国に敗れるわけにはいかない。
■1966年大会以降、イングランドに分のいいポルトガル
さて、決勝トーナメントに入って急速に調子を上げてきたフランスであるが、一方のポルトガルも第1シードではなかったが、第1シードのメキシコを下し、グループDで首位となる。決勝トーナメント1回戦では「死のグループ」と言われたグループCを2位で抜け出したオランダを1-0と下し、準々決勝ではイングランドと対戦する。1966年ワールドカップ準決勝と同じカードである。ポルトガルはロンドンで敗れて決勝進出を阻まれてから、国際大会の本大会でしばしばイングランドと顔を合わせている。ワールドカップでは1986年メキシコ大会でグループリーグで同じグループになり、ポルトガルがイングランドを1-0と下している。さらに2000年欧州選手権ではグループリーグの第1戦で対戦し、3-2と勝ったポルトガルは勢いに乗り決勝トーナメントに進出し、敗れたイングランドはグループリーグ終了後、ドーバー海峡を渡った。2004年欧州選手権では準々決勝で対戦し、2-2の後、PK戦で6-5とポルトガルが勝利している。ウェンブリーでの敗戦はその後の試合で十分におつりが来るだけの戦績を残しているが、今回のワールドカップ準々決勝でもやはりポルトガルが勝利する。イングランドの主将デビッド・ベッカムの負傷退場とウェイン・ルーニーのレッドカードの退場という要因があったにせよ、ポルトガルが終始ゲームを支配し、PK戦を制したのもポルトガルであった。
このようにポルトガルも決勝トーナメントに入ってからはスコアこそ僅差ながら、完勝を続け、フランスとの決勝進出争いに注目が集まった。
■決勝トーナメントに入ってから不動のメンバーのフランス
フランスは決勝トーナメントに入ってから不動のメンバーで戦う。グループリーグのフランスもそうであったように、累積警告や負傷によってメンバーが固定できないのが通常であるが、決勝トーナメントでは3戦連続同じ先発メンバー、同じシステムで戦うことができるチームは数少ない。フランスはスペイン戦と同じようにボールを支配される。しかし、現在のフランスはボールを支配されても全くあせることなく、不要なファウルもなく、試合を進めることができる。
■6年前同様、ジダンのPKが決勝点
逆にボールを支配し、しばしばゴールを襲いながらもゴールネットを揺らすことができないポルトガルに焦りが生じる。それが33分のことであった。スピードに乗ったティエリー・アンリのドリブルにタックルに行ったのはポルトガルDFのカルバーリョ、チェルシー所属の選手であり、アーセナルのアンリについても熟知しているはずだが、アンリのスピードに対応できず、ボールではなく足にタックルしてしまう。6年前のブリュッセルはボードワン国王競技場の試合と同様、ペナルティスポットにボールが置かれ、あの日と同じ背番号10がGKと対峙したのである。この日のポルトガルのGKはリカルド、予選からポルトガルのゴールを守り続け、ジダンのキックにも反応し、正しいコースに飛んだが、ジダンの魂が勝った。ジダンらしくない力強いキックがゴールネットを揺らす。試合は残り1時間近くあったが、何度もリプレイを見ているような展開、デコの復帰したポルトガルは攻め続けたが、ファビアン・バルテスを悔しがらせることはなかった。欧州選手権の2度の激闘に続く3度目の準決勝もフランスに勝利の女神は微笑み、ミュンヘンの試合も決勝点をあげたのはブリュッセルと同じジダンであった。
試合後、両チームの主将であり、エースであるジダンとフィーゴの抱擁が印象的な試合であった。(この項、終わり)